2011年8月11日木曜日

形見があるという事

私の話になってしまうのですが、流産を経験した際に、19週になるものの片身は残らないといわれました。幸い母子手帳を交付されていたので、なんとか形見になるものは残りましたが、記憶だけではどんどん失われるものがあるので、体験談という形になるけど、形に残す事が供養と思っていました。
私にとってはそれがグリーフワークにつながっていたのでしょうね。体験談を書く事で、自分自身の思いを振り返ってみたり、気持ちに正直に向き合う時間が取れたりと、有効に働きました。

今回の震災は津波や場所によっては火災など形見も残らない遺族の方がいらっしゃったのではないかと思います。
形見ひとつあるだけで随分違ってきます。心の拠り所となります。頼るものがあります。
すべてを失ってしまった方へ、心の中の記憶が薄れぬよう、体験談を書かれてはと思います。

私には、日々の暮らしをしながらどう向き合われているか、計り知れない苦労や悲しみがあると思います。
日々の暮らしで笑顔にならなければいけない場面があると思います。涙を我慢しなければいけない場面があると思います。人の目が気になる場面があると思います。
辛さ、悲しさ、頑張る大変さもきっと、必ず受け入れてくれる、共感してくれる場所があると思います。一人で苦しまないで・・・そう願うばかりです。















0 件のコメント: