2012年12月17日月曜日

許すということ

許すということを知ったら
重かったかなしみが
少し軽くなった

もっと
もっと許そう
私だって数え切れないほど
たくさん
許されているんだもの

~星野富弘さんの詩より~


またまた好きな詩の紹介です。

最近、私がこうしてブログに向き合ってる時間が多いのは...
きっと阪神大震災の方が1.17を迎える日が近づいているからだと思います。

沢山の思いが蘇り、沢山の想いに共感し、色々な事を感じています。
悲しみは、怒りにも直結する時があります。

仕方のないことですが、怒りを持つと気持ちが楽な時もあるし、
怒りが生きる支えになる事もあります。

でも・・・凄く疲れるのが本当のところだと思います。

私も怒りから、仕方のないことなのではないだろうか.....
と思えるようになったとき、

気持ちが楽になりました。


そして純粋に悲しみと向き合えるようになり、優しさに変わっていったように思えます。


そんな事を思い出させてくれる詩でした。

私の好きな作家に三浦綾子さんがいます。
富弘さんといい、綾子さんも病状に伏せてからキリストの洗礼を受けています。

私はキリスト教ではありませんが、苦しい時、悲しみの淵にいるときに
言葉や教えというものにすがりたくなる気持ちは分る気がします。
お墓参りにいくときの、お寺の掲示板に張られている、
お坊さんの言葉にも毎回ハッとさせられていています。

悲しみや苦しみは、小さな事に気付ける心でもあるのだと思いました。

2012年12月16日日曜日

仕方のないことなのだけど・・・

傷つく言葉を言っていないだろうか?
表情はどうだろうか?
ご遺族の方と話す時、きっと私の心は伝わっていると思う。


昔の私もそうだったから。

相手の表情に敏感になっているので
遠慮をしている気持ちはすぐに気付いてしまう。

普段おちゃらかな私は、相手を困らせないようにと
「前向きに頑張っているのよ」という
「すごいね、私には真似できない・・・」
そんな、無理をする自分が苦しくて、心の扉を開けない私は、
なんでも話せるネットの世界で生きていた。

顔色を伺わなくて良い世界。
そして、同じ境遇の人がいる空間に安らぎを感じた。

悲しみを共有できないのは仕方のないことだと思っている。
でも、その時は苦しかった。
無事に産む事が出来なかった私にとって
「お産って、痛いんだって~」
と話す友人の悩みや不安が、幸せな悩みの思えて、
 にこやかに過ごさなければいけない空間から脱出したかった。

毎日を過ごしながら、同じような周りとの関係を保ちながら、
悲しみを抱えていく難しさを思い出していました。



2012年12月14日金曜日

心の支え

あなたたちへ
リンクを張らせて頂いているブログです
心の内を正直に綴る日記で、いつも読ませていただいております。

13日の日記がありました。
http://mecyasukiyanen.blog.fc2.com/blog-entry-279.html

色々な事が思い返されました。
自分の話ばかりですが、流産をした時、看護師さんが
「今は悲しいけど、お腹の中にいた幸せな時間もあったはず」

当時は悲しくて、悲しくてそんなこと考えられませんでした。
でも、一年が過ぎ..少しずつ現実を受け入れていくようになった頃
あの子の存在は私にとって幸せを運んでくれた。
短い時間だったけど、大切にしようと、忘れそうな幸せな時間。
もっと、お腹の中に声を掛ければよかったと後悔したあの時間も
大切な時間として胸に刻んでいます。

そんな思いを思い出させてくれたまっぴいさんの日記でした。

当時は、悲しみの共感を求めていたような気がします。
思いっきり泣いては、出口の見えない悲しみの中でも
泣く時間が心のバランスを保つ方法でした。



あの子との幸せな時間。
そう思えるまでには時間がかかると思いますが
私にとっては一番の支えになっている思いかもしれないと
思い出していました。

2012年11月29日木曜日

今月の神戸からのお手紙....

色々なつながりから、お手紙のやり取りをさせていただいております。
ポストを覗いてお手紙がとど来た日は、ドキドキしながら封を切ります。

手紙からは沢山の想いが感じ取れ、こうしてお手紙を頂く事はありがたいと思っております。

先日届いたお便りから一部ご案内....

  11月17日は阪神大震災から17年10ヶ月でした。
  息子達の月命日であり お花を替えたら
  早いな、、、、、、

と ありました。

この方は、毎年「1.17希望の灯り」に参加されていて、
1月16日から17日にかけて遺族、ボランティアの方達と同じテントの中で
5時46分をむかえられるそうです。
寒空の下、年齢的な事もあり、いつまで参加できるかの不安を抱え
なんとか元気を保ちながら、語り合えるのを楽しみにしているそうです。

1.17が終わらないとお正月が来ない......

そんな手紙を読みながら、
18年間花のお水を替える姿を想像し....
毎年の語り明かすテントの中を想像し....
そして阪神大震災の様子を想像し.....

人間、乗り越えられない試練は与えられないとは聞くものの
18年間を思うと胸が張り裂ける想いがします。

この方の1.17の希望の灯りの中での遺族との繋がり
それが、楽しみでもあり支えでもあるように思えます。
 東日本大震災のご遺族の方にとっても、遺族との繋がりの場所があることを祈っています。


 この、『希望の灯り』は陸前高田のほか、岩手県大槌町と福島県南相馬市にも分灯されている。

東日本大震災:「思いは一緒」希望の灯り、神戸から大槌に
(毎日新聞から 2012年11月12日 19時42分)

阪神大震災の被災地・神戸市でともされている「1・17希望の灯(あか)り」が、東日本大震災から1年8カ月を迎えた11日、岩手県大槌町の高台に 分灯された。既に神戸市から分灯されている福島県南相馬市と岩手県陸前高田市の「灯り」も大槌に集まり、震災発生時刻の午後2時46分、被災者らがガス灯 に点灯した。

大槌町を支援してきた「敦賀みなとライオンズクラブ」の清水直喜さん(40)=福井県敦賀市=が発案。 実現に奔走した同町のコンビニエンスストア経営、田中幸郎さん(55)は「阪神・淡路の被災者も我々も、希望を願う思いは一緒です。町民のよりどころにな れば」と話した。
 台座には、人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった大槌湾に浮かぶ同町のシンボル・蓬莱(ほ うらい)島が描かれた。NPO「阪神淡路大震災『1・17希望の灯り』」代表の俳優、堀内正美さん(62)は「損失と悲嘆を前に、被災者は再生に向けて、 寄り添って歩んでいく必要がある。そんな思いを結び、つないでいきたい」と語った。 

2012年11月26日月曜日

大好きな星野富弘さん

私には大好きな詩人&画家さんがいます。

星野富弘さんです。

中学校の教諭でクラブ活動の指導中、頸髄を損傷、手足の自由を失い、病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始めました。

星野さんの花の絵と詩が大好きで、些細な日常なんだけれど、富弘さんだからこそ感じ取れる感性で描かれ、時に健康な私が勇気付けられたりしております。

先日、実家の母から富弘美術館に行ったよと、
 
この冊子を貸してもらいました。
借りておきながら実家に忘れてしまった私。
数ページしか見ていないのですが、ゆっくり見たいなと思っています。

今までにも、富弘さんの言葉で好きな言葉があります
 -----------------------------

辛いという字がある
もう少しで
幸せになれそうな字である

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冬があり夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって

ひとつの花が咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になってゆく

 -----------------------------

よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする

強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする

しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする   

-----------------------------

詩っていいですね。


2012年11月12日月曜日

手を合わせながら・・・


無事に一日を過ごしているだろうか....
 ご飯を食べているだろうか....
  寝れているだろうか......

震災当時、犠牲になった方へのあまりにもむごい現実に、無念さに涙が溢れた。

そして、月日が経つうちに、震災で亡くなった方へ手を合わす以上に
残された家族の事が心配で、心の内を話せる人が傍にいますようにと願っている自分がいる。

震災から20ヶ月。

家族が無事だった私は、残された人を思っている....
まだ、1年と半年しか経っていないというのに
命を失った方を偲ぶ気持ちが薄れているのか....
それとも、お仏様となっているとすんなりと現実を受け入れているのだろうか。
 
取り立てて騒ぎ立てるつもりではないが、私にとってはこの11日という月命日が、亡くなられた方に手を合わせる大切な日となっています。
せめて、月命日だけでも・・・というのが正直な気持ちかもしれません。.

昔の日記も、今読み返すと当時そう思っていたんだ・・・・
と、自分の気持ちながら忘れていたり。
移りゆく気持ちも大切なんでしょうが、自分の気持ちに少々寂しさを覚えました。



2012年10月22日月曜日

新聞から 震災犠牲者のDNA検体返還へ

『震災犠牲者のDNA検体返還へ 県警が遺族の意向確認着手』
10/4の河北新報から
  
    引用・・・・・
宮城県警は、東日本大震災で亡くなり身元が確認された犠牲者について、DNA鑑定に 使った骨片や爪などの検体を希望する遺族に返還する手続きを始めた。「遺族の思いを踏まえ、検体も形見と考えた」と県警は説明する。受け取るかどうか意向 を確認するため、既に約3000人の遺族に返信用はがきを送った。
 県警によると、県内で見つかった全ての遺体から、爪や骨片、歯、筋肉、血液のうち一つを検体として採り、血液以外の約3000人分を保管している。各検体は1立方センチ程度の大きさで、県警に依頼された医師が採取した。
 DNA鑑定の実施数は膨大で、宮城県警だけでは作業が追い付かなかったため、検体の多くを宮城以外の全国の警察本部などに送った。鑑定が終わった後は、県警が再び回収して管理している。
 対象となる遺族には、検体を受け取るか、処分を県警に一任するかのどちらかをはがきに書いてもらう。受け取る場合は警察署から連絡があり、引き渡しの日時などを調整する。処分を一任した場合は市町村などで合同埋葬する予定だ。
 県警は10日までの返信を呼び掛けており「検体は犠牲者の身体の一部で大切なもの。取り扱いでは遺族の意思を尊重したい」(身元不明・行方不明者捜査班)と話す。

鑑定資料も「大事な形見」 宮城県警、震災遺族に返却  
10/10 朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/national/update/1006/TKY201210060136.html

    引用・・・・
宮城県警は、DNA鑑定によって身元が特定できた東日本大震災の犠牲者について、家族らに対し、遺体から採取した歯や爪など約3千点の返還を今月から始めた。
 「次男の結婚式に、せめて母と三男の爪だけでも参加させたい」。同県警の身元不明・行方不明者捜査班に4日、震災の津波で母と弟を亡くした宮城県沿岸部に住む長男から電話が入った。
 母と弟の遺体はすでに引き渡されているが、近く次男が結婚式を挙げるという。長男は「どうしても母と弟を結婚式につれていきたい。2人の爪を引き取りたい」と伝えてきた。県警は希望通り引き渡した。
 県警によると、通常の不明遺体の場合、身元が特定されても家族らは返還を望まないことが多いという。だが、震災関連の遺体については、約半数が返還を希 望しており、5日までに約100件の問い合わせがあったという。捜査班の金野芳弘検視官は「遺骨は埋葬してしまうので、爪や歯は鑑定資料というだけでなく 家族にとっては大事な形見。必要とする人には返していきたい」と話している。(高津祐典)
 

10月になって宮城県警ではDNA検体の返却に着手しました。
はがきはご遺族の手元に届いており、皆さんそれぞれの思いを送られたと思います。

私も「遺体」という本を読む前までは、全てのご遺体からDNA鑑定のため検体を取られていた事実は知りませんでした。

発見と同時に身元確認を済ませていたご遺体もあったでしょう。
このハガキで初めて歯や爪を取られていた事、ご遺体に手を掛けられていた事を知った遺族の方もいらっしゃったようです。

DNAの為の歯や爪の採取は震災において仕方ない事だと分かりつつも、これ以上体を傷つけられるののかと、遺族の中には簡単に割り切れるものでもないようです。(検体への批判ではないです)

そして、今回の連絡で、一気に当時を思い出してしまったと・・。
ご遺族の方の心情を考えると、今回の事も含め、これからも先色々な場面で当時を思い出すような事があるのだろうなと思いました。


勿論、新聞にも取り上げられているように、お骨は納骨されるので手元には残らない。
歯や爪を形見として引き取りたい声があるようで遺族の方の大切な形見になっていくのでしょう。

一方、納骨が済んでいるので今さら受けとりと言っても・・・・でも、合同埋葬されるよりは引き取りたい・・・皆さん受け取った後、どのように保管するのかという声も聞きました。

県警の方、検体採取に携わってきている方々の苦労や思いに敬意をはらいながらも、「形見の返却よかったね」で新聞を読むだけではなく、多くの思いで苦しんでいる遺族の方がいると言う現実を知った今回の出来事。

沢山の遺族の方の思いを色々と察しながら、新聞のご紹介しか出来ませんが、遺族の方々の心境を・・・現実を・・・周りにいる私達も少しは知ることによって、何かしらの想いにつながればと思います。



2012年10月19日金曜日

震災の本

今までは読めるか自信がなかった震災の本。
知ることから始めなくてはと、何冊か手に取り読み始めています。

ご遺族の方にとっては目にしてきた現状を
私は今、本を通して知ることしか出来ません。


正直、震災時の遺体の状況がこれほどまでとは思いませんでした。


遺体安置所の様子、遺体の様子、火葬までの様子、
そして今も大切な方が行方不明という現状。

知らないことが多すぎます。

ただ「震災死」という本の中で、
杏林大学准教授・高木先生の話が載っていました。


-----引用------

私は 亡くなった人は苦しんだのか、とも聞いた。高木氏はこう答える。
「今回の震災に限らないが、それはご遺族の方からよく聞かれる問い。
おそらく、今回は即死など短い時間で死亡したケースが多いと思う。
強い水圧のために、脳に流れる血流が止まり、
立ちくらみのような状態になり、意識を失った人も少なくないだろう」

----ここまで-----

苦しんだのだろうか・・・せめて苦しまないで欲しい
と願う遺族の方がほとんどだと思う。

この話が載っていたので、、、、引用させていただきました。
 



2012年10月14日日曜日

震災フォーラムのご紹介

リンクを張らせていただいている
つむぎの会」さんで
震災フォーラムを開催されるようです



遺族による震災フォーラム
~私達がのぞむ本当の希望~

10月20日(土)
13:00~16:30

河北新報別館ホール(5階)

主催:つむぎの会

詳細はこちら⇒ 




ご紹介することでしか協力は出来ませんが、遺族の方の声が沢山の方に届きますように。

2012年10月11日木曜日

しおクローバーの冊子紹介

塩釜で活動をしている『しおクローバー』の震災冊子のご紹介
http://mamanote2011.blog.fc2.com/

2012年9月に
『こどもたちを守るために
 ~あの時のママ・こども達の声~  in塩釜』


という震災冊子を発行しました。

私もちょっとお手伝いさせて頂いていております。
震災当時のママ達の声を集めた冊子ですが、その中に
『ワスレナイ』というページがあります。
 しおクローバーのスタッフの一人が強く願ったページでした。

この震災では、多くの大切な命が失われたその事実とどう向き合うか....
私達ができることは『ワスレナイ』こと....

震災で家族が無事だった、境遇の違う私達だけど、
大切な事は見失わないでいたいという思いからうまれました。

この冊子は、震災を忘れがちな人に向けた、ママ達に向けた内容なので
このブログで紹介するか悩んだのですが、
この「ワスレナイ」に自分のお子さんの事を綴ってくれた文章は、
良ければ沢山の方に読んでいただきたい。

そして、こうして出会った方々を、
忘れないでいきたいと思う。 

 そして、大切な方をなくされた方の声を聞くことが、
一番震災を考える上で重要なことなのだということを、
改めて重要なんだと考えさせられた出会いでした。

ブログでは文章の紹介は出来ませんが、
機会があったら是非手にとって欲しいと思います。

お取り寄せ 1冊350円にて販売中
詳しくは
http://shiokuro.so-good.jp/

 
 

2012年10月10日水曜日

吐き出す・・・・

いつも読ませていただいている
雅人ママの小さくて大きい日常さんの10/9の日記を読んで
引っかかっていたのもがすっきりしました。

いつかは、ブログで知り合った方々や活動で知り合った方々と顔合わせをしてみたい...
直接お話をしてみたいと考えていました。
その中で、互いが会ってよかったと思える時間を過ごしたいと思いました。

でもでも、万が一参加された方が嫌な思いをしてしまったら、
悲しい思いをした上に、傷つくようなことがあったら・・・
そう思うと、なかなか現実的に考えられませんでした。

でも、耳に入ってくる間接的な声ですが
地元を離れて、新しい場所に来たものの、遺族と見られない気楽さはあるけど
皆が幸せそうに思えて、「自分だけがどうして・・・」と思ってしまう。
など、聞くと・・せめて場所のセッティングだけでも、遺族の会があるということを教えたり
自分の出来る事はやっておきたいなと考えたりしていました。

いつも雅人ママさんが毎回参加されたいという「つむぎの会」さんは
気持ちを吐き出すではなく「分かち合う」という言葉を使っています。

雅人ママさんは上智大学の岡先生の講演内容を紹介していました

「グリーフケアに限らず、心の治療のグループではね、グループのセッションが終わったら、それで解散、 それで、お互いに会わないようにしているというところが多いです。 なぜか。

それは、そのグループは、基本的には、心の膿のような汚れたものを、吐き出して捨てるという場になっているからですよ。

いっしょに、ゲロゲロ吐いて、すっきりした、と。

だったら、もう、そのゲロを吐いていたころなんて思い出したくないし、自分の吐いたゲロを見ていた人にも、会いたいとは思わないと思うのですね。

だから、一日のグループが終わったら、それで解散。次の集まりまでに互いに連絡をとる、ということもない、というのは、 グループは、心の膿を吐いて捨てる場にすぎなんだから、連絡をとる必要もないわけですよ。」

なるほどと思いました。
勿論、時には吐き出す事は必要だと思います。吐き出す場所がトイレのように
個人的な場所だったり、相手が心の通う知り合いだったり・・・
場所と相手を間違えてしまうと「吐き出す」事は相手を不愉快にしてしまう。

その上で、雅人ママさんはブログでこんな事を書いていました。

『分かち合うというのは、こころのなかの大事なものを分かち合うんですよ。 悲しみは、愛しさであり、愛だからこそ、分かち合えるのですよ』


hand in hand も
「思わず吐き出してしまったもの」を上手に処理しながら
分かち合う、共感できる、共に歩むサイトでありたいと思いました。

といいながら、ネット上ではつい吐き出してしまったら、私がこっそりタオルに包んで処理しますので
お気軽にご参加くださいね。



2012年9月4日火曜日

何が出来るのか

藤本さんからの大切なバトンを受け取った私はいったい何が出来るのか?
過去を振り返っていました。

今まで、阪神大震災の方とのやり取りで受けた感想は、
阪神大震災の方も、今回の東日本大震災があったからこそ
「同じような苦しみの方に何か出来れば・・・」といった、思いを寄せる事により
振り返り受け止めるきっかけになったと感じました。

こんな事は言ってはいけないのかもしれないけど、東日本大震災があって
自分の気持ちを改めて聞いてくれる方や 、自分の気持ちの蓋を開けるきっかけになったり
癒された部分があると感想を頂きました。今回の震災で助けられたのは実は自分達だと。


17年の月日を掛けても、まだこのような状況なのだと驚いたと同時に
ご自身の辛い過去を話してくださった、勇気と、東日本大震災の遺族に向けた暖かな思いを
私はきちんと繋げていかなければと、受け止めています。

しかし、東日本大震災の遺族にとっても「お辛いでしょう」「誰かにお話を・・・」と伺ったところで
耳に届かない部分もあると思います。
阪神大震災の方の為に、私達がいるのではないんだと。
悲しみを前に、なかなか受け入れられるものではないと思っています。

阪神大震災の方の方でも、まだまだ声に出してお話できない方が沢山いらっしゃいますので、(聞いて欲しいと思っている方にですが)お話を伺い、阪神大震災の方のためにも活動を続けたいと思いました。

そして、どう生かすのか。
東日本大震災の遺族の方の声を聞く機会は、阪神大震災の声を聞く以上に難しい事です。
なので、震災の本当の現状を遺族でない周りの私達は知る事ができません。
だからこそ、心の内を想像し、変な言葉を掛けてしまったり、言葉に詰まってしまったりするところがあると思います。
遺族の声から現状を知り、深い悲しみの中にいる事を理解したうえで、遺族の方にどんな事が出来るのか、どんな言葉をかける事が出来るのか、今一度考えるきっかけになればと思っています。

 私の独りよがりな思いなので、かえって傷つけたりしていないだろうかと常に思っていますが、
これは、『深い悲しみという感情』を私に教えてくれた子供達からの財産だから、懲りずに続けていきたいと思います・・・。











2012年8月30日木曜日

想像を超えた話。

この活動を始めるきっかけは、震災当時、阪神大震災で奥様を亡くされた、藤本さんの体験談を通したメッセージを目にしたことから始りました。

それから、1年半余りメールのやり取りをさせていただいたのですが、
こちらにいらしていただく事になり、今回会うのが始めて。
率直にメールでは聞けない、当時の思いやそれまでの経緯を聞いてみたいと思っておりました。
 
私自身、これからの活動について悩むところもあったので、お話を聞き何か感じる事が出来るのではないかと考えておりましたが、優しい口調から出てくる言葉とはまったく違う壮絶な過去に、はじめはただ聞き入るだけでした。

何時間も掛けて奥様を瓦礫から運び出した事、ご遺体をすぐには火葬できなかったこと、避難所生活での心の傷など、報道ではまったく耳に出来ない内容が、遺族の方には実際に身に降り注いだ現実を聞くことが出来ました。理解は出来なくても、状況は分ってもらえ、理解につながるものではないかとお話してくださいました。

辛い過去をお話していただき、また遺族の立場からの色々なお話に勇気を頂きました。
よく噛み砕いていこうと思っていますが、大切なものを手渡された気がします。


2012年8月24日金曜日

人の涙。

小さい頃から、私は人前では泣かない子だった。
泣くとかっこ悪いような、悔しいような気がするから。
でも、すごく泣き虫で、隠れて泣いたり、テレビで泣いた時は隠れていたりした。

大人になってからは、涙腺がさらに弱くなり、絵本を読んでは泣き
テレビでも、映画でも号泣する始末。
でも、おなかの中で子供の心臓が止まっていると聞いたとき
待合室で妊婦さんに囲まれ、人生で一番というくらい涙を我慢した。
そんな私の目の前で看護師さんが涙を流し
「あなたは強いのね・・・」
といった時、泣いてたまるかと思った。
病院を出た瞬間。抑えていた涙が溢れ、すれ違う人が私を見ていった。

落ち着いてからは、私の涙が気を遣わせるのではないかと思い、
その後も子供のことについては人前では涙を流さない。

自己防衛なのかもしれない。

勿論、今回の事でご遺族の方の話を聞く際も
涙は見せないようにとしているが、それがいいのか悪いのかは分らない。
でも、家に帰って改めて考えると、沢山の涙が溢れてくる。

私はおなかの中の話だったので、多くの人は知らないから幾分楽だったのだろうと思うけど
3.11のご遺族の方は震災もあり、多くの方のつながりもあり大変なんだろうと思う。
お盆の季節も、沢山の親類とのやり取りの中で、自分の気持ちを偽り社交辞令でものを話す。
必要な事かもしれないけど、皆さんどのように過ごしたのだろうか?
色々とブログを読ませていただきながら、頷き、頷き、頷く事しかできなかった。

もし、つぶやきたくなったら、掲示板等ご利用くださいね。


2012年8月14日火曜日

読んでみたい

雅人ママさんのブログで紹介されていました。
http://masatomama.blog.fc2.com/blog-entry-646.html

遺族の方の思いを綴った本&絵本

是非読んでみたいと思いました。

読んで、沢山の方の想いに触れてみたい。
そして、その場に生きたものとして震災を考えてみたい。


2012年7月29日日曜日

その時、その時。

私は普段でも、気持ちの浮き沈みがたまにあり、駄目な日は何をやっても駄目な時がある。
その「駄目な日」を認めるまで時間がかかった。
女性ホルモンなんだろうケド、ホルモンの加減で気持ちが左右されるのが不思議だった。
自分の体に耳を傾けて、はじめて自分の心を必要以上に傷つけなくなった。

悲しみって、どんな時が悲しいとか、体験談としてまとめて書くのは難しい。
日々の暮らしに、毎日喪失感が眠っている。
だって、今まで当たり前にあったものが、ないんだから。
リンク張らせて頂いている、ブログで
分りやすい区切り・・・という文章がありました。
私達には区切りがないのに・・・
 大切な方を失った方は、区切りで悲しむわけでもなく
その時、その時、一日一日の中で苦しんでいる。
その現実を、忘れがちになってしまっている。
なるほどと思いました。

今日、知り合いの方の話の中で
2人になったのに、つい今までの4人分を買って食材を駄目にしてしまう・・。と。
そんな日常をうなづく事しかできない私。

新しく「アユ母日記」さんリンクはらせて頂きました。
ありがとうございます。

2012年7月26日木曜日

リンクから

「今日のこりまま」さんのブログにリンクを張らせて頂きました。
震災で娘さんを亡くされております。

私が流産をした時、なかなか口に出せなかった思いを
当時ブログはなかったので日記に書いていました。

勿論、普通の人が見たらびっくりするような色々な思いを書いていました。
そんなサイトでしたが、同じ境遇の人がコメントをしていただき、
明日の生きるパワーをもらっていました。
自分の気持ちに似た方を見つけた時、泣きながら見入った時がありました。
とても心強さを感じました。

そんな思いもあり、ネットから色んな方のつながりが出来ればと思い、
リンクを張らせて頂いております。

こりままさんのブログも、ご自身の胸のうちを素直に書かれており、
きっと、誰かの心に響くのだろうな・・・と思いました。
「悪口ブログ」なんて書かれているものの、こりたんへの愛情が感じられるブログです。
どのブログもそうですが、そのまま、自由に発言できる状況で続けられるようにと祈っています。

リンクの許可ありがとうございました。



2012年7月12日木曜日

1年4ヶ月

1年4ヶ月。
宮城海上保安部は11日、巡視船など6隻を使い気仙沼港など、海上や海中の捜索を行ったと
県内では、1479人の方が行方不明となっていますと
ニュースで見ました。

こうしたニュースを見ないと今の現状が分らない私。
勿論、分るといっても、想像するだけしか出来ない私。
でも、忘れずにいたいと思います。

 昨日の車の中で聞いていました。
 BUMP OF CHICKEN 「supernova」 作詞・曲:藤原基央

 私が気持ちが不安定になるとよく聞く曲です。
その中の歌詞 (一部)

君の存在だって いつでも思い出せるけど
本当に欲しいのは 思い出じゃない今なんだ

君を忘れた後で 思い出すんだ 君との歴史を持っていた事
君を失くした後で 見つけ出すんだ 君との出会いがあった事

誰の存在だって 世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって 造られる

悲しみを言葉で表現なんて出来るわけでもない。
でも、思いっきり泣けると同時に
失ったものへの希望も受け取れるから不思議。
私の世界は あの子達があって 造られる
私の存在が あの子達がいたことの 証になるんだと

一つ一つの思い出が、私とあの子の生きていた証だし
喜びの一つ一つが、私の喜びでもあり
失った悲しみでもある。
9年前のHPを読み直し、同時の気持ちにたまに戻る。
戻れののもこの手記のおかげ。
これが私と子供の歴史。

だからこそ、今の気持ちを書きとめておいて欲しいと願うのは
私の勝手な押し売りかもしれない。

かける言葉は見つからないけど
自分の気持ちを吐き出す場所がありますように。

2012年7月4日水曜日

あなたたちへ から

いつも、時間が空いたときにお邪魔するブログ
「あなたたちへ」から
阪神大震災で天国へ旅立った息子
の日記を読みました。

今回、家族を失った人にとって
家族を失った人生は、まだ始まったばかり

今の混乱期の次に来るのは 深い悲しみ
そんな思いをする人が 亡くなった人の数の何倍もいるということ

 という言葉にハッとさせられました。

亡くなった人の数の多さに驚きましたが、悲しみを背負って生きていかなければいけない方が
その数の何倍もいるんだという現実を再確認させられました。
もしかしたら、悲しみを抱えて生きるという事は、死ぬ事よりももっと辛い事なのかもしれない。
そして、その生きるという事が、亡くなった方にとっては手の届かなかった願いだったのだから
絶対に手放してはいけないものだと思う。
思うけど、、、、私はお腹の中で息子を失った時、自分も死にたいと思った。
でも、同時に自分の命も失ってしまっては、同じように親、夫を苦しめるという事に気付き
思いとどまった。

昔、涙のバケツの話を兄に聞いた記憶があった。
悲しいとき涙を流して、涙のバケツが空っぽになると、人は笑いまたバケツに水を汲む。
バケツが一杯の時は笑っている証拠だし、空っぽになる頃にはまた笑いたくなるものだ。

そんな言葉を思い出してみるものの、当時は毎晩布団をかぶって涙を流した。
とっくに空っぽになるはずだと思っていたが、私の涙は枯れなかった。
相当大きいバケツだと思った記憶があります。

まさか自分が、子供を失うなんて思いもしなかったし
失ってから、悲しみに向き合っている人の多さに驚いた。

今回の震災で、どれ程の人が今夜も涙を流しているのだろう・・・
そう思うと、胸が張り裂ける思いです。



2012年6月27日水曜日

そうなんだ・・。

なかなかブログが書けずにいました。
遺族の方の思いというものは、被害のない私はどう考えても理解できないものだろうし
計り知れない悲しみと、計り知れない想いがあり、
私なんかが何が出来るのだろうかと考えていました。
誰だって傷つきたくないし、傷つける側にまわりたくもない。
間違った思いやりなのかもしれないと思ったりもしながら
ブログを読み返していました。

でも、やっぱり何かしたい・・・何が出来るか向き合ってみたいと思う根底には
私なりの悲しみの期間があったからだと思う。
ブログつながりで、色々とお世話になっている雅人のとうちゃんさんの事が書かれた本

ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ

ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ
を読んで、考えさせられた。
最近、リンクを張らせていただいた「つむぎの会」さんの田中さんのブログを読んだ時も感じた。

私の中で、悲しみを整理し乗り越えたつもりでいたけど
乗り越えたのではなく「悲しみと共に共存している自分」に気付かされた。
実際、未だに当時の話をする事ができないし、振り返るのも涙なしでは出来ない作業で
日々の生活で思い出す機会がめっきり減ったというだけで、悲しみを乗り越えたわけではない。
悲しみを抱えた私が、今の自分。どんな事でも過去を背負って生きている。生きていくしかないんだという事。

こうした活動だって、生まれてこなかった子供達の分まで生きようと決めた
私の覚悟のあらわれで、ただジタバタしているだけなのかもしれない。

この本の著者2人が自問自答している箇所が、震災の当事者ではない自分自身に当てはまる思いで読ませていただきました。
新聞記者という立場でありながら自問自答の繰り返しで進んでいる様子に
なぜか安心感を感じました。みんな悩みながら向き合っているんだと。

勿論、本の感想はもっとありますが、今回は自分の事だけの感想ですみません。




2012年6月1日金曜日

それぞれの立場で

HPの掲示板を2つ御用意しました。
大切な方を亡くされた方と
遺族の周りにいる方用の掲示板です。

それぞれの立場で、それぞれの状況で、それぞれに苦しい思いがあると思います。
私は遺族の方に言葉をかけられるのは、同じ遺族の方の言葉だと思い
阪神大震災の遺族の方からの想いを頂いてきました。
共感する部分で、少しでも楽になれればという思いからでした。
勿論、今でもその考えは変わりませんが、それだけではいけないとも感じています。

 交流してくださっている遺族の方からのお話などでは
「周りの方からの言葉に傷ついた・・・」
というお話と同様に
「話を聞いて欲しいけど、きっかけもない」
「時が経つにつれ、話す機会がなくなっていく」
「亡くなった方を忘れないで欲しい」
「疎遠になっている友人が多い」
などお話もありました。

勿論、遺族の周りにいる方たちも
「変に話して傷つけたらどうしよう」
「どう接していいのか分からない」
「メールの返事が打てない」
などの悩みもあるようです。

大人になって、それぞれの環境が違ってくると疎遠になってしまうと同じように
やはり、こうして疎遠になっていくものなのでしょうか。


今までの友人達と、つかず離れずの関係で、お互い出来る範囲で
繋がっていけたらと思うのですが、これはとっても難しい事ですよね。

掲示板を活用する事で、それぞれの悩みを共有して
疎遠になることなく、適度な距離でつながっていけたらと思っています。
実際の所、私も何をしていいのか分からない、もどかしさがあるからの活動です。

今までの友人関係に固執することなく、自分の身の置きやすい場所にいるのも
もちろんいいと思います。
しかしながら、日常を送るというのはそんなに簡単には行かないと思います。
会いたくない人に何度も会ってお説教を貰ったり、
ゆっくり話したい人には気を使って話せなかったり・・・

どんな表情をして話していいのか、自分の顔が強張っていないのか・・・
などなど限がありません。

私自身、お節介な活動だよな・・・と思ったり、
自分が悲しみに潰れそうな時に、そっと手を差し伸べられた時の
あの気持ちがありがたくて、忘れられなくて、
布団の中で、誰にも聞こえないように毎日泣いていた自分を思い出したりして
やっぱり何か力になれたら・・・と思う日々を送っています。

遺族の方も、遺族の周りにいる方にも、思いを吐き出せる場所になれたらと思います。



2012年5月23日水曜日

グリーフケアを考える

 リンクを張らせて頂いている
「雅人のとうちゃん」さんのブログで紹介されていた

ケアできない「悲しみ」もある
 「グリーフケアは要らない」という声が自死遺族にはある 
《上智大学・岡知史/全国自死遺族連絡会/田中幸子/明英彦》
『藍の会』分かち合いのつどいHP内 「★藍色の雑記帳」
http://ainokaisendai.web.fc2.com/zakki.html

私はブログでもHPでもグリーフケアで紹介される
「悲嘆回復のプロセス論」を紹介しました。
過去に幸せな人を恨んでみたり、そんな感情を抱く自分を嫌いになったり
自己嫌悪に陥り、より自分が傷ついた事があったからです。

この 「悲嘆回復のプロセス論」を初めて読んだとき
愛する人を失った方が感じる気持ちを読んだとき
誰もが感じる思いなんだ、自分が感じている嫌な自分も認めていいんだ
と安心した記憶があります。
もし、自己嫌悪に陥っている方がいれば、そんな気持ちも悲しみを前には当たり前で
認めてあげていい自分なんだという事をお伝えしたく、ご紹介いたしました。

そして
藍色の雑記帳さんの ケアできない「悲しみ」もある
を読んだときに、論法ではなく遺族のそのものの想いで物事が書かれており
素直に心に溶け込みました。

 悲しみに対し、どの考えが処方箋なのかは私は分かりませんが、
もし、ブログで紹介した「悲嘆回復のプロセス論」に関して
共感できない思いや、嫌な思いをされた方がいたら
上記のケアできない「悲しみ」もある
共感する部分があるのかもしれないと思い、ご紹介させていただきました。

育児書や医学書どうりに事が進まないと同じように
論法というのは、参考程度にするのが良さそうと思うのは、私の性格かな・・・。

生きてきた環境・大切な方を失った状況・性格などものの考え方ひとつとっても
皆違います。
皆さんがそれぞれで、心を開ける場所が見つかりますように願を込めて。




2012年5月5日土曜日

神戸の桜

阪神大震災で息子さん夫婦を亡くされた、足立さんからお手紙が届きました。
当時の手記はこちら
4月に届いたお手紙で早くにお伝えしたかったのですが、遅れてしまいました。

足立さんは結婚して4ヶ月目の息子さん夫婦を亡くされています。
震災から5年目に、息子さんが住んでいた近くの公園に「二人の生きた証に」と
樹齢5年のソメンヨシノを5本植樹したそうです。

それから毎年「桜を囲んで語る会」を催しているようです。
 桜の成長具合など、そのまま息子さんを見ているような文章に
微笑みながら読ませていただきました。

足立さんにとっては、桜は息子さん夫婦そのもの。
写真が同封されていましたが、とても楽しそうな様子に17年の月日を思いました。
 桜を見て、また来年も桜の下で語り合うことを目標に一年を頑張っておられるようです。



「生きた証」・・・最近よく聞く言葉です。
桜が元気でいてくれることが、足立さんの生きる希望になっているのでしょうね。

このような桜、植えてみたいと思いました。



2012年5月1日火曜日

見るものの心を待ち続ける桜。

季節は春です。
塩釜でも4月の末頃、桜の見頃となっていました。

今年はゆっくりと見ることが出来ました。
種から育てられた木は樹齢200年などの古木になるということ。
私が見ていた木は何歳なのだろうと思ったりもしました。


長い年月のうちに厳しい事もあると思いますが、毎年咲くけなげな桜に
同情のような、尊敬のような、感謝のような気持ちがわきました。

去年は綺麗と感じることが出来なかった桜。
今年は綺麗と感じることが出来ました。


桜はいつも綺麗なのに、見るものの心ひとつで変わってしまう。

そんな私達を知ってか知らずか、桜はいつも変わらずに花を咲かせて待っていてくれる。


きっと、まだ桜を綺麗と思えない方もいるかと思いますが

焦る事はないよ、
来年も、5年後も、10年後も私は綺麗な花を咲かせるから
心に余裕が出来たら私の桜を見においで、
あなたのために毎年頑張るから

桜からそんな声が聞こえます

hand in handのサイトも、小さな道端に咲く桜のようになりたいと思います。

2012年4月13日金曜日

お役立ち情報 仙台グリーフケア研究会さんから

仙台グリーフケア研究会のブログさんで

4月の『わかちあいの会』の予定が載っていました。

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大切な人を亡くしたかたの「わかちあいの会」
対象:大切な人を亡くされた方(死因は問いません)
参加費:無料

◇仙台会場 4月21日(土)午後2:00~4:30 (託児あり)※次回は5月19日(土)
場所:仙台青葉学院短期大学
◇石巻会場
4月22日(日) 14:00 ~ 16:30   ※次回は5月27日(日)
場所:蛇田公民館

詳しくはこちら↓↓
http://blog.canpan.info/grief/archive/71

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「大切な人を亡くした人をサポートする講演会とファシリテーター養成講座」
日時: 2012年4月21日(土)・22日(日)

もあるようです
詳しくは↓↓
http://blog.canpan.info/grief/archive/72 

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2012年4月5日木曜日

最後の時。



私が一度目の流産を経験した時の話です。

お腹の中で亡くなっているのを気付かずに私は3週間を過ごしていました。
親なのに気付く事もできませんでした。
丁度、三週間前にお腹が痛く苦しい時がありました。
家庭の事情で抜け出す事もできず我慢しました。
子供のSOSを感じてあげる事が出来ませんでした。


何故気付かなかったのか、原因はなんだったのか
苦しかったのかな?
寂しかったよね。
後悔ばかりで自分を責めていました。

苦しまないで逝ってくれたのかな・・・
と最後の様子を想像しては、私自身が苦しんでいました。

こうして文字を打っている間にも、未だに涙が止まりません。
 
愛する人を亡くしたとき、それも今回の様な災害の場合。
亡くなり方は様々で、まだ見つからない方も大勢いらっしゃいます。

亡くなる最後の瞬間を想像すると、心が引き裂かれるような思いになりますが
震災が起きる前の生活を思い出し、幸せな時間があったのだと思えるようになれれば
きっときっと、悲しみも少しは和らいで来ると思います。
まだ1年なので、そこまで受け止める気持ちはないかもしれませんが

子供を亡くした方へ、私が当時支えになった本ご紹介いたします
ひかりの世界

2012年3月25日日曜日

本サイト更新情報

追加コンテンツのお知らせです。
hand in hand のHPサイトで

お役立ち > 心の向き合い方

 追加いたしました。
少しでも参考になればとピックアップしてみました。
他、心の向き合い方で参考になるような記事、サイトございましたら
ご紹介いただければと思います。

2012年3月24日土曜日

ピックアップ記事:「思いは同じ」「支え合って進もう」 陸前高田市

新聞記事からピックアップ
 
思いは同じ」「支え合って進もう」 陸前高田市(産経ニュース)2012.1.17 09:35

思いは同じ。支え合って進もう-。阪神大震災から17年を迎えた17日、東日本大震災の被災地で、地域住民らによる追悼行事が行われた。遠く離れた関西と東北の被災地を、鎮魂と再生の灯火が照らした。
岩手県陸前高田市では、地域住民らが、阪神大震災の被災者らと思いを共有しようと、犠牲者の鎮魂と町の再生を願う神戸市のガス灯「1・17希望の灯り」を 分灯した「3・11希望の灯り」を、昨年12月に建立していた。その直後、メンバーの小松茂さん(61)が「神戸市のみなさんの支援に対し、感謝を伝えた い」と、1月17日の追悼行事の企画を提案、準備を進めていた。
半分に切ったペットボトルに水を張った住民手作りの灯篭(とうろう)約 100個に、被災地支援を続けるNPO法人「たすきプロジェクト」代表で、神戸市在住の堀内正美さん(61)がろうそくを提供。灯火が移されると、会場周 辺に暖かな光がゆらめいた。午前5時46分、集まった約30人は静かに目を閉じ、黙祷(もくとう)した。
長男を失った浅沼ミキ子さん (48)は「肉親を亡くすことでしか阪神のみなさんの苦しみに気づけなかった。当時何もできなかった後悔と、どうか安らかに、という気持ちで祈りまし た」。小松さんは「親類や友人ら20人以上が津波にのまれたが、神戸市の人々との交流で“家族”が増えたようだ。灯は、同じ苦しみを持つ者がともに生きる 力だ。それぞれの復興に向け、踏み出したい」と思いを新たにしていた。



*新聞ピックアップ
インターネットの新聞記事は消えてしまう事があるので、引用紹介していきたいと思います。

自分が悲しみを経験して初めて人の悲しみに気付く事が多いと思います。
こんなにも生きている人生の中で、悲しみを背負って生きている方が多いということを。
生きる方に回ったものが、どうこの悲しみを受け止めどう考えていくのか
人それぞれで、それぞれの考え方があると思います。
そんな皆さんの想いを繋いで、悲しみに向かおうとしている方へのメッセージとして
微力ながら発信していきたいと思います。

2012年3月22日木曜日

子供を亡くした親のつどいを主催している
の開催日程が更新されたようですので
ご紹介いたします

つむぎの会

【ご案内
◎気仙沼市  第一日曜日  本吉公民館 13時から
◎石巻市  最終日曜日  石巻医師会館 13時から
◎仙台市 最終の木曜日 宮城県管工事会館 13時から
◎岩沼市 震災遺族の会  第3日曜日 13時から
3月は18日、岩沼中央公民館
◎石巻市  震災家族の会  毎月西光寺で日にちは不定期 13時から
◎仙台市 慈恩寺での遺族の会 偶数月に開催
日にちは不定期(友引の日)  13時から

参加費:200円(茶菓代)


お役立ち情報 ネットから

大震災で親を失った子どもたちのために~子どもと家庭を支えるネットワークと連携をめざして~

◆◆宮城県里親連合会、(特活)子どもの村福岡、宮城県 共催フォーラム◆◆

●日  時:3月24日(土) 13:00~16:30
●場  所:宮城県行政庁舎2階 講堂(仙台市青葉区本町3-8-1)
●内  容:
<第一部>13:00~15:30
◆講演1「大震災と子どもの心のケア」
講師:本間博彰氏(宮城県子ども総合センター所長、
児童精神科医)
◆講演2「わが国の社会的養護の課題と将来像」
講師:柏女霊峰氏(淑徳大学教授、厚生労働省社会保障審議会
社会的養護専門委員会委員長)
◆報告 「親族里親とともにすすめる親を失った子どもへの支援」
講師:卜蔵康行氏(宮城県里親連合会会長、日本ファミリー
ホーム協議会会長)
<第二部>15:30~16:30
◆トークセッション「本間博彰×柏女霊峰×卜蔵康行×藤林武史」
<交流会>17:30~  ※参加費:3,000円

●参 加 費:無料
●託  児:事前申込み
●申込方法:所定の申込書に記入の上、下記申込先までFAXにて申込
●主  催:宮城県里親連合会、(特活)子どもの村福岡、宮城県
●問合せ先:東北・SOS子どもの村情報センター
〒980-0021 仙台市青葉区中央2-7-3 角川ビル412号
TEL:022-748-6936
FAX:022-748-6931
E-mail:cvtinfo@cv-f.org
URL:http://cvtinfo.exblog.jp/

(特活)子どもの村福岡
〒810-0054 福岡市中央区今川2-14-3 サンビル3F
TEL:092-737-8655
FAX:092-737-8665
E-mail:fukuoka@cv-f.org
URL:http://cv-f.org/


の記事を見かけました。

2012年3月19日月曜日

阪神大震災から~ご紹介~

阪神大震災でお父様・息子さんを亡くされた寶田さんからお手紙が届きました。
当時を振り返り、今と同じ頃、1年後の様子をお聞きしました。
一部ご紹介いたします。

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現地に行ってみて初めて地獄絵の如く目に入って来ました。
戦争を知らない私ですが
「まるで戦争やん」と震えていました。
その時の恐怖が今も目に残っています。
明石に移り住んでもその時の事を尋ねられるのが嫌でした。
「同情されたい」と思われないか
「言っても被害を受けてない人には理解できない」とか
思えば随分可愛げもないおばさんでした。
私にはあまりにもいろんな事がありすぎて
素直な気持ちになれなかった様に思います。
震災で無くしたものも沢山ありましたが、
新しい出会いも沢山ありました。
皆様に気を遣って頂いたり、癒していただいたりと
年月が過ぎやっと物事を素直に受けるようになった自分に
老いたからか、時が経ったからなのか・・・と
いづれにしても、あの時受けた心の傷の度合いによって異なりますが
時間が必要ではと感じています。
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少しでも共感できる部分があったらとご紹介いたしました。

悲しみを背負い、他人の言動に対し自己嫌悪に陥るような思いを抱くのは
誰しも感じる思いのようです。

「私の気持ちは分からない」と。

時間だけでは解決する部分ではないのでしょうが、
この気持ちは今に至っては仕方のない思いのようで、
認めてあげるのが良さそうです。

悲しみを背負った上に、傷つくことがないよう願うばかりです。

2012年3月17日土曜日

ピックアップ:政府追悼式・宮城県代表の奥田江利子さん

政府追悼式・宮城県代表の奥田江利子さん「涙を越えて、強くなる」2012.3.11msn産経ニュースより 


「悲しみを抱いて」 (一部引用)  
受けとめがたい現実、やり場のない怒りと悲しみ、そして限りのない絶望。
 最愛の人を失ったというのに自分が生きているという悲しみ。「生きることがつらい」。そう思う申し訳ない気持ち。生きていることが何なのか、生きていくことが何なのかを考えることさえできない日々が続きました。
 愛する人たちを思う気持ちがある限り私たちの悲しみが消えることはないでしょう。遺族はその悲しみを一生抱いて生きていくしかありません。
 だから、もっと強くなるしかありません。涙を超えて、強くなるしかありません。
 今、私はこう思うようにしています。「子どもたちが望む母でいよう」「これでいいだろうか」「こんなときに両親はなんと言うだろう」
 そう思うことで、「亡くした家族と一緒に暮らしている」。そう感じていたいからです。
 絶望の中にさす光もありました。息子は私たちに生きる意味を残しました。
 忘れ形見の初孫が7月に生まれ、元気に育っています。
 その孫の成長が生きる希望へとつながっています。
 最後に、被災地の私たちを支えて下さった多くの皆さん、日本全国、世界各国の皆様に心から感謝を申し上げます。
 皆様からの温かな支援が私たちに気力と希望を与えてくださいました。
 だから今日までこうして過ごしてこれました。
 その恩に報いるには、私たち一人一人がしっかりと前を向いて生きていくことだと、そう思っています。差し伸べてもらったその手を笑顔で握り返せるように乗り越えていきます。
 本当にありがとうございます。
平成24年3月11日
 宮城県代表 奥田江利子

影ながら気にかけ応援したいと思っております。
まだ一年。
大切な方を失った方々の悲しみへの向き合い方は様々だと思います。
一年という節目という言葉にとらわれずに、ご自分の気持ちを大切に、無理のないようにと思います。
私も、ふとした時に立ち寄れる場所作りに努めてまいりたいと思いますので、辛くなった時、「王様の耳はロバの耳」ではないですが、吐き出す場所としてお立ち寄りください。

2012年3月11日日曜日

今日で1年。

震災から1年。
沢山の想いがありました。
亡くなられた方々へご冥福をお祈り申し上げます。
14時46分、我家で家族と黙祷をしました。


沢山の想いをまとめたかったのですが・・
胃腸炎にかかりダウンしておりました。


阪神大震災で長女(5歳)を亡くされた小西さんからのメールが来ましたので
ご紹介いたします。

私が1年を迎えた頃、まだまだ気持ちに余裕もなく、
辛い日々だったように思います。

東日本の皆さんもきっと、いろいろな思いを抱え、
大変な毎日をお過ごしだと思います。
特に大切な人を失った方は、どんなにか辛い事だと思います。
何を言っても、慰めにならない事を、よくわかっています。
でも、
もし皆さんが必要になったら阪神淡路大震災を経験した私は、皆さんに寄り添いたいと考えています。
愚痴を聞く人が必要なら言って下さい。
悲しさで気持ちが張り裂けそうなら言って下さい。
いつでもお話を聞きます。
私に出来る事はそれぐらいしかないのかもしれません。

私は1年前、娘の霊前に向かい、
たくさんの方が貴女の元に行きました。
赤ちゃんもいます。高齢なかたもいます。
どうか、先輩として、皆さんのお世話をしてね。特にお母さんやお父さんと離れて1人でそちらに行った子どもさんは、抱きしめて上げてね…」
そう願いました。
 
娘の遺影は笑顔で、
「大丈夫。ちゃんとお世話するからね。 
泣いている子ども達は寂しくないように抱きしめてあげるからね。
お母さん大丈夫だからね。」
そう言っているようでした。

何の慰めにもならないけど、
天国の皆さんは先に行った娘達がお世話をしています。 
1年経って少しは向こうの生活にも慣れたと思います。
ほんの少し、ほんの少しだけ安心して下さいね。

2012年3月10日土曜日

本サイト更新情報

hand in hand ~手を携えて~
のサイト一部更新しました。

リンクで
雅人のとうちゃんさん
雅人ママの小さくて大きい日常さん
追加いたしました。

お役立ちコンテンツ追加
つどいの場所ご紹介
を追加しました

つどいの場所ご紹介では、ブログでも紹介している
仙台グリーフケア『わかち合いの会』 葵の会『つむぎの会』さんをご紹介
 
 「雅人ママさん」が参加された様子をブログで紹介されているのでリンクさせていただきました

こういった会は初めてだと参加されにくい部分があると思いますが
参加者の声を聞いて少しでも判断材料になればと思います。


皆さんからの声もお持ちしております


 

2012年3月4日日曜日

やりたいこと。

日記です。
テレビ番組で、「欲望こそが生きるエネルギー」と言っているのを聞いていて
本当にそうだと思いました。

子供を失ったとき、何故自分が変わってあげられなかったのかと
責めて、、、自分が生きている事への罪悪感まで生まれました。
そこから精一杯生きようと思った経緯は長かったのですが、
やはり「欲望」が原動力でした。
私の場合は「やらなければいけない」という使命感だったと思います。


「欲望」というとなんだか大きすぎてピンときませんが
「日々のやりたいこと」を大切にする事なんでしょうね。
そして、今を生きている私にはその「やりたいこと」を大切にする事は
私の生きるエネルギーにもなり、先に逝ったこども達も望んでいる事。
私の笑顔につながっていく事なんでしょうね。

このhand in handの活動も私なりの
「悲しみからの使命感」なんだと思います。
失ったこども達から教えてもらった「なにか」をつなげるために。

のこされたあなたへ 本のご紹介

 

のこされたあなたへ 3.11 その悲しみを乗り越えるために

東日本大震災の遺族の方に向けた「一条 真也さん」の本が出ていました。
まだ読んでいませんが、是非読んでみたいと思います。



2012年3月3日土曜日

阪神大震災から~ご紹介~

「阪神大震災を記録しつづける会」さんからのおつなぎで
小西さんというお子さんを亡くされた方との交流をさせていただくことになりました。
当時の思いは阪神大震災を記録しつづける会HPで見ることが出来ます
「天国へ行ったのんちゃん」
2人の娘さん(当時5歳、1歳)の長女(5歳)を亡くされました。


メールでメッセージを頂いているのでご紹介いたします

すずりん:
小西さんが、当時お話をしたり、思いをぶつけられた先はありましたか?
手記を書いたいきさつなどを聞かせてもらいたいのですが。
私は流産の経験があるのですが、当日夫でさえ自分を理解してくれないと思ったとたんに傷つくのが怖く、自己防衛で気持ちをシャットアウトしました。自分の思いを吐き出す場所は同じ方の集まるインターネットでした
  
小西さん:
ご主人にわかってもらえず、悲しみに耐えられず気持ちをシャットアウトした気持ち、よく解ります。
私も子どもを亡くすという同じ経験をしても、主人とは悲しみも、じる事も、乗り越え方も違うと思いました。すずりんさんは、ネットでも自分の気持ちを話せる場があって良かったですね。


私は芦屋川教会の牧師さん(息子さんを亡くされました)が、
震災で子どもをなくした親の会」を開いてくださり、参加させてもらいました。
私は人前で泣く事が出来なかったので、そこでは娘の話しをし、
 今の辛い気持ちをはきだす事が出来ました。
変な話ですが、笑う事も出来ました。
当時、笑う事も泣く事も出来なかったように思います。
そして、同じようにお子さんを亡くされた方と、悲しみを共有する事で、
気持ちを落ち着つける事が出来たのです。
私は、あの会がなければ今の私はなかったように思います。

手記については、当時娘の名前が、住民票からも、保険証からもなくなっていく事に、
 悲しみというより恐怖のようなものを感じました。
 娘がこの世にいた事さえ消えてしまう気がして、娘がいた事実を残したかった… 
泣きながら何日もかかって書いた事を覚えています。

手記を書く事も気持ちを整理する事の助けになったように思います
辛い事、悲しい事は思い出したくないけれど、その事と向き合う事が出来た時に
1歩が踏み出せるような気がします。

2012年3月1日木曜日

風見しんごさん「ゆるら」

交通事故で娘さんを亡くされてから5年。

HPより
愛娘を失った大きな哀しみと闘ってきた風見しんごさんが、今回CDをリリースするにあたり、
真っ正面から向い合って歌詞のテーマとしたのが「涙を乗り越えて、前を向いて歩くこと」だった。
 【大切な人をなくした全ての人たちが、前を向いて歩いて行けますように】
風見しんごが27年ぶりに、願いをこめて唄います。

http://www.forlife.co.jp/flme/artists/kazamisinngoyurura/


東日本大震災塩竈市追悼式について

東日本大震災により犠牲となられた市民の方々の1周忌を偲び追悼式を行います。
○と き  3月11日(日)14:30~
○ところ  塩釜ガス体育館(今宮町9番1号)
○主 催  塩竈市
・追悼式は無宗教で執り行います。
・葬儀ではありませんので、ご供花、ご供物、ご香典などは辞退
申し上げます。
・一般の市民の皆さんも弔意を表する機会がありますのでご参列
ください。
・なお、式典当日は東日本大震災の発生から1年を迎えます。市
ではこの震災でお亡くなりになられた方々の、ご冥福をお祈り
し、黙祷を捧げるため、地震発生時刻の午後2時46分にサイレン
を1分間鳴らしますのでご理解とご協力をお願いいたします。

塩釜市HPより

2012年2月29日水曜日

夜空

震災の夜は、息をのむくらい綺麗な星空でした。
あの星空のもと沢山の方が犠牲になったのだと思うと
あの星空を忘れてはいけないと心の中に刻み混んでいます。

失った方は戻ってこないけど、
今目の前にいないけど、
失った方の存在を過去ではなく、
今現在という時間の中で形にしていく事は出来る。
それも生きているという事なのではないかと思ったりもする。

失ったもののこれからの成長はないけど
今までの歩みをしっかりと思い出し、味わう事は出来る。

違った意味での愛し方なのかもしれない。

沢山の涙は、失った方への愛情そのもの。
その涙大切にしてください。

思いをこめて。

すずりん。

2012年2月24日金曜日

もうすぐ1年。

もう少しで1年が経とうとしています。

節目節目で、色々な想いが蘇ってくると思います。
1周忌という事で法要や、親戚と顔を合わせる時期です。

きちんと法要を済ませてあげたい気持ちと、まだ整理のつかない気持ちとあると思います。

阪神大震災の遺族の方とのメールのやり取りからご紹介いたします。




******************************************************************
■たかいさんから 
私は、最初の1.17を迎えるのがとても怖くて
秋の気配(冬を連想させるので)を感じたころから
イライラが 強くなっていた気がします
そして、
その日、その時間に 息子が帰ってくると信じて
その時間を待っていた気がします

でも、息子は帰ってきませんでしたが。

1年目は、息子のことを覚えていてほしい
そういう思いが強かったです

友達に、震災の時のお礼のお手紙と
息子を忘れないでくださいというお手紙を
お礼の品物を添えて出しました

その作業をすることで
その日が来る恐怖や不安を紛らわせていた気がします

************************************************************
他にもご協力いただける方が増えたのでゆっくりご紹介していけたらと思います

2012年2月17日金曜日

お役立ち情報 新聞記事から

子を亡くした母ら、会つくり支え合う 毎日新聞 2月7日(火)10時29分配信

 東日本大震災で我が子を亡くした宮城県内の母親らが、悲しみを分かち、支え合っている「つむぎの会」への参加者が約100人に達した。会は、肉親が自殺し た遺族の支援活動をしてきた田中幸子さん(62)=仙台市青葉区=のもとに寄せられた相談がきっかけで作られ石巻、気仙沼、仙台の被災3市で活動してい る。「命日も同じ、津波にのまれた状況も同じ遺族同士、深く理解し合える」。遺族らは、月1回開かれる語らいの場を心のよりどころにしている。

 石巻市の会合に参加している鈴木由美子さん(42)は、小学校6年の三男秀和君(当時12歳)を津波で亡くした。「これからどうやって生きていけばいい のか」とすがるような気持ちで加わった。震災から間もなく11カ月。母親同士の間などでは、秀和君のことを話題にする機会は少なくなったが「この会なら (息子を亡くした)お母さんとして泣ける」。

 避難誘導中に殉職した県警河北署(石巻市)交通課の青木謙治さん(当時31歳)の母恭子さん(52)。周囲からしばしば「(殉職して)立派だったね」と 声をかけられるが、「『警察官なのに逃げた』と責められてもよかった。私が守るから帰ってきて」と悲しむ。そうした気持ちも、遺族同士なら分かり合える。 「悲しみは変わらないが、支え合う仲間がいるから自分も頑張れる」と話す。

 会を運営する田中さんは05年11月、警察官だった長男健一さん(当時34歳)を自殺によって失った。遺族同士が語り合う場を作ろうと翌年、「藍(あい)の会」を設立。07年には、病気などさまざまな理由で子どもを亡くした親の会「つむぎの会」へと拡大した。

 さらに震災の遺族から相談の電話があったこともあり、昨年6月からは「親と子の命をつむぎ、(心の中で)一緒に生きていけるように」との願いを込め、被 災地で活動を始めた。参加者は母親がほとんどだが、田中さんが紹介し遺族同士で電話やメールで支え合っている父親もいて、会員は約100人に達した。

 田中さんは「悲しみは決して癒やされることはなく、生きていくには仲間同士、支え合うことが必要だ」と訴える。問い合わせは田中さん(090・5835・0017)。

 同じ境遇のママ達がお話する場があって良かったと思います。
支えあいながら、自分お気持ちを少しづつ吐きだしながら気持ちに向き合う作業、
とても大切だと思います。
気持ちに向き合う作業は、一人では辛すぎて出来ないと思います。
支えてくれる方が、周りを見渡すときっといる事だと思います。

2012年1月26日木曜日

阪神大震災から

寒い毎日ですね。
今日の朝方の地震で防災グッツを見直した私です。

HPの方で阪神大震災の手記を頂いた方との手紙での交流が続いております
皆さん優しい方ばかりで、沢山気にかけていただいております。
ありがとうございます。

先日は阪神大震災から17年という事で、新聞などでも特集が組まれたようで、
ありがたいことに新聞を送っていただき、神戸新聞を読むことが出来ました。

17年の年月を思っては長い道のりだったんだなと改めて感じました。
阪神大震災での皆さんの道のりを、私なりにひも解きながら
東日本大震災の遺族の方にご紹介出きればと思います。

東北では年末年始にかけてテレビでは震災の特番が組まれ、
なかなか辛い部分もあったようです。
私もバタバタしていて実際に遺族の方のお話を伺っている訳ではないのですが、まだ、1年経っていないのですものね。
HPで手記を寄せて頂いた寶田さんから頂いたお手紙の中にも
「年始のご挨拶をこのお手紙をお借りして皆様に・・・と思ったのですが、ふと私自身その時期どんな気持ちだったかを考えてみましたら・・・」
とありました。
何もしないけど、何もしない思いやりもあるのだと思いました。

さて、以前ブログでも書きました
阪神大震災を記録しつづける会さん
からのご紹介で
阪神大震災でお子さんを亡くされた
たかいちづさんにお話を伺う機会が出来ました。

NHKの「リエゾン被災人」というサイトでメッセージが見られます。
http://www.nhk.or.jp/hisaito/  動画
http://www9.nhk.or.jp/hisaito2/interview/vol1_001.html  想い



思いの深さに涙しました。

メッセージや応援といったものは時として読むことが辛い時期があると思いますが、
たかいちづさんの「想い」は苦しい時、悲しい時、そして今と自分の通ってきた歩みのそのものなので負担なく目を通せると思います。

 たかいちづさん 将君のホームページ
で詳細を読むことができます

手記以外にも手紙やメールのやり取りの中に沢山の思いがあるので
今後、メールのやり取りをご紹介していけたらと思っております。

沢山の阪神大震災からの声が届いています。
共に歩んでいけたらと思います。

2012年1月3日火曜日

新しい年となりました

今年もよろしくお願い致します。

今年の事を考えていました。
色々手探りをしながら、私なりに出来る事考えてましたが、
やっぱり 「きっかけ」 を作る事なんだろうなと思います。

私は遺族ではないので、結局は「支援者」という側の人間。
「支援者」という言葉は嫌いだけどまさしくその通り。

個人的に寄り添う気持ちを持って行動しているつもりでも、
やっぱり内容はお節介なだけなのかもしれない。
いつも立ち止まって、後ろを振り返りながら、
悩みながら、ちょこちょこやっていきたいと思います。


でも、そんなお節介な行動でも、ちょっと立ち寄りたい時
ちょっと他人が気になるときに交流できる「きっかけ」作りを
誰かの為と言う訳ではなく、
将来必要とするかもしれない誰かの為に続ける事、
これが必要なのではと勝手に考えたりもしています。

1月17日。
阪神・淡路大震災から17年目に入ります。
この震災から、はじめて阪神・淡路大震災の事が少し分かりました。
悲しみを知る人は、悲しんでいる人に寄り添える事ができる。
悲しみを知る人は、本当の優しさを身につけられる。
阪神・淡路大震災の遺族の方との交流から感じた事です。

震災から多くを失いました。
そして何を受け取ったのか。
阪神・淡路大震災の遺族の方の中から
その答えを少しでも聞けたらと思います。
それを糧にしていきたいと思います。

年明けから、私の悩み相談的内容でスタートですが
よろしくお願い致します。