2013年8月24日土曜日

お盆

お盆というと…
若い頃は、ちょっと面倒な日でした。

特にお嫁に行ってからは、なれない台所仕事に
親戚への対応とため息をつく時もありました。

でも、今はまったく変わってきました。
お盆の起源は分らないそうですが、祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事が
仏教の行事となっていったようです。
そう、こうして忙しくしているのは親戚をお迎えするだけではなく
亡くなられた方への心なしのおもてなしなんだと思うようになり
送り火や、盆だなの用意、毎日のお供え物の準備など苦にならなくなりました。

特に、地域の風習というものには色々な意味があって、その一つ一つが
亡くなられた方への想いそのものなんだと思います。
地域では故人が帰ってこれるように通り道を草刈をするような風習もあるようで
目には見えないけど、目を閉じてそこにいるような・・・
そんな感じになれるお盆でした。

今年のお寺の入り口に書かれていた言葉は

心のうち
聞いてもらいに
墓参り

会いたいと願う、生きているものの願いや祈りが込められた
お盆という行事に、精一杯の気持ちを込めてお迎えしました。
 
 

2013年8月4日日曜日

夏本番になってきました。

久しぶりの日記です。
7月とというのに、梅雨の間中の東北は長袖で過ごすほど涼しい日が続いていました。
8月、ようやく梅雨明けです。
急な暑さに負けないようにと心がけ、熱い飲み物を飲むようにしています。

さて、家族のものが調子が悪く、なかなかPCに向かう時間も余裕もありませんでした。
こうしてみると、健康と言うのはありがたいものなのだと思います。
悪い方向に向かわないと、今のありがたさを忘れてしまいます^^;

震災以来、挨拶を交わすようになった方がいます。
その方と、お話しているときに
実は、何年か前に娘さんを病気で亡くしたと話してくださりました。
当時、娘さんにはまだ小さい子供さんが三人たということ。
孫達を自分がかわりに育てて、今はすっかり大きくなったのよと。
あなたのように、子育てをしている母親を見ると、親の愛情を受けて育つ子供達が羨ましいと
話していました。
いつも、笑顔の裏に大変な想いを抱えていらっしゃるのだと始めて知りました。
話される表情から、娘さんを失った悲しみと、お孫さんへの優しい気持ちが読み取れました。
物腰の柔らかい、本当に素敵なおばあちゃんです。

最愛の方を亡くすという事は経験しない方がいい事は確かです。
でも、悲しみを抱えて生きている方の表情は、深い優しさを生むような気がします。
私は失った命をどう、自分の中で受け止めていくのか
あの子達は何を教えてくれたのか・・・考える時があります。
鏡の中の自分の顔を眺めては、あのおばあちゃんの様な優しい表情になりたいなと思いました。

亡くなった方を偲ぶと共に、亡くなられた方がきっとギリギリまで強く思われた
「生きたい」と願った時間を私達は生きているのだから、
日々笑顔になれるよう生きていけたらと願います。
そして、子供達にも出来るだけの愛情を注ぎたいとも思いました。
(なかなか出来ない事でもありますが)

子供を失った当時の日記、悲しみを綴った日記を久しぶりに読み返していました。
今見ても、涙が溢れます。
忘れていた思いもあり、こうした日記はそのまま、
あの子への思いなんだと振り返ることができました。
お腹の中で亡くなったので、形見はないのですが、この日記があの子の形見として
可愛い缶に保管してあります^^

私の中では、あの子が生きていたら・・・という思いは、正直かなり薄いです。
当時、交流を持たせてもらった方から、「与えられた時間を精一杯生きたのよ」
という言葉をもらいました。
確かに、お腹の中での5ヶ月という月日は短いけれど、
沢山の喜びや愛おしさを与えてくれた時間でもあったのは事実で

あの子が与えられた人生の長さと理解しているからかもしれません。
そして、口では言いませんが私の中では(失った二人の子の数を加えた)4人のママという気持ちが
とても強いです。

あの子達がいたおかげで、今がある。
私達夫婦の間に、きてくれて本当にありがとう。
失った、9月が近くなるたびに思い出す気持ちでした。





八月はお盆の季節、迎え火をたいてお迎えしたいと思います。