2012年7月29日日曜日

その時、その時。

私は普段でも、気持ちの浮き沈みがたまにあり、駄目な日は何をやっても駄目な時がある。
その「駄目な日」を認めるまで時間がかかった。
女性ホルモンなんだろうケド、ホルモンの加減で気持ちが左右されるのが不思議だった。
自分の体に耳を傾けて、はじめて自分の心を必要以上に傷つけなくなった。

悲しみって、どんな時が悲しいとか、体験談としてまとめて書くのは難しい。
日々の暮らしに、毎日喪失感が眠っている。
だって、今まで当たり前にあったものが、ないんだから。
リンク張らせて頂いている、ブログで
分りやすい区切り・・・という文章がありました。
私達には区切りがないのに・・・
 大切な方を失った方は、区切りで悲しむわけでもなく
その時、その時、一日一日の中で苦しんでいる。
その現実を、忘れがちになってしまっている。
なるほどと思いました。

今日、知り合いの方の話の中で
2人になったのに、つい今までの4人分を買って食材を駄目にしてしまう・・。と。
そんな日常をうなづく事しかできない私。

新しく「アユ母日記」さんリンクはらせて頂きました。
ありがとうございます。

2012年7月26日木曜日

リンクから

「今日のこりまま」さんのブログにリンクを張らせて頂きました。
震災で娘さんを亡くされております。

私が流産をした時、なかなか口に出せなかった思いを
当時ブログはなかったので日記に書いていました。

勿論、普通の人が見たらびっくりするような色々な思いを書いていました。
そんなサイトでしたが、同じ境遇の人がコメントをしていただき、
明日の生きるパワーをもらっていました。
自分の気持ちに似た方を見つけた時、泣きながら見入った時がありました。
とても心強さを感じました。

そんな思いもあり、ネットから色んな方のつながりが出来ればと思い、
リンクを張らせて頂いております。

こりままさんのブログも、ご自身の胸のうちを素直に書かれており、
きっと、誰かの心に響くのだろうな・・・と思いました。
「悪口ブログ」なんて書かれているものの、こりたんへの愛情が感じられるブログです。
どのブログもそうですが、そのまま、自由に発言できる状況で続けられるようにと祈っています。

リンクの許可ありがとうございました。



2012年7月12日木曜日

1年4ヶ月

1年4ヶ月。
宮城海上保安部は11日、巡視船など6隻を使い気仙沼港など、海上や海中の捜索を行ったと
県内では、1479人の方が行方不明となっていますと
ニュースで見ました。

こうしたニュースを見ないと今の現状が分らない私。
勿論、分るといっても、想像するだけしか出来ない私。
でも、忘れずにいたいと思います。

 昨日の車の中で聞いていました。
 BUMP OF CHICKEN 「supernova」 作詞・曲:藤原基央

 私が気持ちが不安定になるとよく聞く曲です。
その中の歌詞 (一部)

君の存在だって いつでも思い出せるけど
本当に欲しいのは 思い出じゃない今なんだ

君を忘れた後で 思い出すんだ 君との歴史を持っていた事
君を失くした後で 見つけ出すんだ 君との出会いがあった事

誰の存在だって 世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって 造られる

悲しみを言葉で表現なんて出来るわけでもない。
でも、思いっきり泣けると同時に
失ったものへの希望も受け取れるから不思議。
私の世界は あの子達があって 造られる
私の存在が あの子達がいたことの 証になるんだと

一つ一つの思い出が、私とあの子の生きていた証だし
喜びの一つ一つが、私の喜びでもあり
失った悲しみでもある。
9年前のHPを読み直し、同時の気持ちにたまに戻る。
戻れののもこの手記のおかげ。
これが私と子供の歴史。

だからこそ、今の気持ちを書きとめておいて欲しいと願うのは
私の勝手な押し売りかもしれない。

かける言葉は見つからないけど
自分の気持ちを吐き出す場所がありますように。

2012年7月4日水曜日

あなたたちへ から

いつも、時間が空いたときにお邪魔するブログ
「あなたたちへ」から
阪神大震災で天国へ旅立った息子
の日記を読みました。

今回、家族を失った人にとって
家族を失った人生は、まだ始まったばかり

今の混乱期の次に来るのは 深い悲しみ
そんな思いをする人が 亡くなった人の数の何倍もいるということ

 という言葉にハッとさせられました。

亡くなった人の数の多さに驚きましたが、悲しみを背負って生きていかなければいけない方が
その数の何倍もいるんだという現実を再確認させられました。
もしかしたら、悲しみを抱えて生きるという事は、死ぬ事よりももっと辛い事なのかもしれない。
そして、その生きるという事が、亡くなった方にとっては手の届かなかった願いだったのだから
絶対に手放してはいけないものだと思う。
思うけど、、、、私はお腹の中で息子を失った時、自分も死にたいと思った。
でも、同時に自分の命も失ってしまっては、同じように親、夫を苦しめるという事に気付き
思いとどまった。

昔、涙のバケツの話を兄に聞いた記憶があった。
悲しいとき涙を流して、涙のバケツが空っぽになると、人は笑いまたバケツに水を汲む。
バケツが一杯の時は笑っている証拠だし、空っぽになる頃にはまた笑いたくなるものだ。

そんな言葉を思い出してみるものの、当時は毎晩布団をかぶって涙を流した。
とっくに空っぽになるはずだと思っていたが、私の涙は枯れなかった。
相当大きいバケツだと思った記憶があります。

まさか自分が、子供を失うなんて思いもしなかったし
失ってから、悲しみに向き合っている人の多さに驚いた。

今回の震災で、どれ程の人が今夜も涙を流しているのだろう・・・
そう思うと、胸が張り裂ける思いです。