2011年8月28日日曜日

ぽっかぽかから お父さんを亡くした時の話

私の好きな本に「ぽっかぽか」があります

単行本⑤さようならから
田所麻美がお父さんを亡くした時の話です

私が悲しいのは生きている時に
「ありがとうっていえなかったこと」
という話がありました

いつも元気な麻美が涙を流したシーンは
何度見ても泣いてしまいます
いつ起こるかわからない突然の別れの為に
普段から「ありがとう」と面と向かって言えないものです

残されたものが幸せに生きていれば
逝った者は安心なんだ

という慶彦の友達中村の言葉も残ります

無理して笑顔になる事はないと思います
でもいつかは幸せになれる日が来ると祈っています

ぽっかぽかにもあったように
きっと今まで過ごした日々がそのまま「ありがとう」なんでしょうね

ありがとう・・
ありがとう・・・
ありがとう!!!

さようなら・・・・おとうさんのこと忘れない

そう、忘れないでいる事が一番の供養だと思います
記憶している事が、生きていたという事実


最後にお葬式での慶彦と麻美の会話から (一部抜粋)

慶彦  お義父そっくりだ・・・・

似てるな・・
子供たちだよどことなく似てるだろ

麻美  血筋の見本市!

慶彦  皆の中にお義父さんがいるんだな

麻美  ・・・そうね そう考えると
     少し悲しみが減るわね

2011年8月25日木曜日

震災でのPTSD お役立ち情報

「PTSD」ってご存知ですか

「PTSD」とは

TSDは、とても怖い思いをした記憶がこころの傷となり、 そのことが何度も思い出されて、恐怖を感じ続ける病気です
このページを訪れたあなたは、過去にとても怖い思いをした経験があるのではないでしょうか。PTSDとは、命の危険を感じたり、自分 ではどうしようもない圧倒的な強い力に支配されたりといった、強い恐怖感を伴う経験をした人に起きやすい症状です。その怖かった経験の記憶がこころの傷 (トラウマ)として残り、さまざまな症状を引き起こしてしまうのです。

 みんなのメンタルヘルス総合サイト  より引用



 で確認する事ができます

相談など色々な所で実施しています

 日本臨床心理士会でも相談行っています
東日本大震災心の相談電話 0120−719−789
(従来の 03−3813−9960 もご利用いただけます。)
実施期間 7月1日〜未定
実施曜日 月、火、木、金 (水、土、日はお休みです)
実施時間 夜7時〜9時  



お盆を迎えて

今年のお盆は沢山の思いが詰まったものになりましたね。
仮設住宅で過ごした方や避難先で過ごされた方・・・
迷うわないようにと迎え火に祈りを込められたと思います

こういった一つ一つの行事を重ねる事はとても必要な事だと思います
雑事に追われてしまうこともありますが
自分の気持ちと向き合う機会にもなります
何より、本当に見守りに来てくれているのだと思います

沢山沢山悔やむ事もあると思います
突然の別れほど辛いものはありません
こうしていれば・・・ああしていれば・・・・・

私も震災とは関係ないのですが、お腹の中で我が子を失ったとき
日々の行動を責めました

きっとその段階が一番辛い時のように思います

震災は突然の事で誰も責める事は出来ません
きっと、逝ってしまった方も分かってくれると思います


「どんな母親でも、子供にとっては一番お母さんが大好き 」
という子供の母親への無償の愛を聞きました
かなり気持ちが救われました
「ぼくのために泣かないで・・・」
そんな声がするようで、少しづつ前向きに考えられるようになりました
 8年前の話です

今はお盆が大好きです
わが子に会える行事の一つとなっています

今回の震災の方はまだまだそんな気持ちになれないと思いますが
今回のお盆では沢山の愛する人達の再会を果たした事でしょうね

2011年8月17日水曜日

周囲にできる事・・・

震災で家族や友人、を失った方がいます。
どう、接していいのか分からないのが現状で、傷つく言葉をかけるより触れない方がいいと思ってしまいます。それはそうなのでしょうが、どうなのでしょう・・・・・。相手にとって支えになれる「見守る」という事とはどういったことなのでしょう。

知らないうちに「無関心・忘れてしまう」事になってしまい、寄り添う気持ちが遠のいてしまい、遺族の方や震災で被害にあった方の悲しみは、遺族の方だけのものになってしまうのではと心配しています。

HPやブログでも紹介した藤本さんとメールのやり取りをさせていただいておりますが、遺族の方へ「付かず離れずの関係 」をお願いしますとの言葉がありました。

難しい事ですが、その通りだと思います。

大切な方を亡くされた方の気持ちに寄り添うために何が出来るか考えて行動を始めてみましたが、活動を始めると方向性がぶれる事がありますが、自分の為ではなく、相手の気持ちにを一番に、遺族の方の悲しみが少しでも癒される事だけを考えて行きたいと思います。これは肝に銘じたいと思います。

もし遺族の方がいらっしゃって、こうしたサポートが欲しいとか、嬉しかった声かけ、嫌だった言葉などありましたら、コメントを頂ければ参考になります
よろしくお願いいたします


2011年8月11日木曜日

形見があるという事

私の話になってしまうのですが、流産を経験した際に、19週になるものの片身は残らないといわれました。幸い母子手帳を交付されていたので、なんとか形見になるものは残りましたが、記憶だけではどんどん失われるものがあるので、体験談という形になるけど、形に残す事が供養と思っていました。
私にとってはそれがグリーフワークにつながっていたのでしょうね。体験談を書く事で、自分自身の思いを振り返ってみたり、気持ちに正直に向き合う時間が取れたりと、有効に働きました。

今回の震災は津波や場所によっては火災など形見も残らない遺族の方がいらっしゃったのではないかと思います。
形見ひとつあるだけで随分違ってきます。心の拠り所となります。頼るものがあります。
すべてを失ってしまった方へ、心の中の記憶が薄れぬよう、体験談を書かれてはと思います。

私には、日々の暮らしをしながらどう向き合われているか、計り知れない苦労や悲しみがあると思います。
日々の暮らしで笑顔にならなければいけない場面があると思います。涙を我慢しなければいけない場面があると思います。人の目が気になる場面があると思います。
辛さ、悲しさ、頑張る大変さもきっと、必ず受け入れてくれる、共感してくれる場所があると思います。一人で苦しまないで・・・そう願うばかりです。















ピックアップ 東日本大震災 母の分まで生きる…形見の指輪と修了式

東日本大震災で被害に遭った方の記事をピックアップします

母の分まで生きる…形見の指輪と修了式

津波で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市渡波(わたのは)町の市立渡波小(児童数453人)で24日、10年度の修了式が行われた。安否不明だった母の死 が22日に分かったばかりの6年、中野美咲さん(12)は、母の形見となった指輪と紺色のジャケットを身に着けて出席した。離婚で父の顔を知らずに育った だけに大切な「ママ」だった。「ママに言われたとおり、元気にしようと思う」。再会した友達を前に涙をこらえた。【比嘉洋】

「どこ行く の? どこ行くの?」。22日昼、避難先の同小から市内の遺体安置所「旧青果花き地方卸売市場」に向かう車内で、美咲さんは祖父邦夫さん(63)、祖母美 恵子さん(64)に不安そうに尋ねた。2人はうつむいたままだった。美咲さんの問いかけに答えるように邦夫さんの携帯電話が鳴った。邦夫さんは相手に伝え た。「んだ。これから娘の遺体さ確認しに行く」

「うそだあ!」。美咲さんの声が震えた。どこかで生きていると信じていた。だが、安置所脇に掲示されたリストに母喜子(よしこ)さん(33)の名前があった。「何で。ママがいる……」。両こぶしで美恵子さんの胸をたたいた。

喜子さんの遺体は検視が終わっておらず、顔には泥がついたまま。「怖かったろう。寒かったろう」。美咲さんは母に語りかけ、突っ伏して泣いた。その間も安置所には新しく見つかった遺体が次々と運び込まれた。

美咲さんは祖父母と喜子さんと4人暮らし。あの日、喜子さんは市中心部で買い物中に地震に遭い、美恵子さんに電話を入れた後、弟夫妻と車で渡波町に向かう途中、津波に襲われた。美咲さんのいた渡波小まで1・5キロの場所だった。

「ママは忙しくしていたけど、いつも優しかった」。ショッピングセンターに勤める喜子さんは帰宅が深夜になることもあったが、美咲さんは毎晩、一緒に風呂 に入る時間を楽しみにしていた。いつも「みっちゃんは大切な子」と言ってくれた。化粧品を勝手に使い、しかられたりしたが、自宅ではいつも喜子さんにしが みついた。

修了式。美咲さんの右手薬指の指輪が光っていた。再会した友達と笑顔でじゃれあったが、担任の松本三重子教諭の姿を見つけると、胸に顔をうめて涙を流した。「お母さんの分まで強く生きるんだよ」と言われ、無言でうなずいた。

自宅は全壊し、避難生活の見通しも立たない。校庭には車や民家の残骸が散在している。卒業式の日程は未定。入学予定の渡波中も避難所になっていて入学式の予定も分からない。でも、美咲さんには目標がある。

高校を卒業したら、いつか母が勤めていたショッピングセンターで働きたい--。

 


 




2011年8月9日火曜日

グリーフワーク

こんなページを見つけました

グリーフワーク

表現文化社さんのHPから



グリーフワークとは「配偶者や子供といった家族など身近な存在の死別を体験し、深い悲しみに陥った人が立ち直るまでに努力して行う心の作業」の事を言うらしい
一部引用すると
配偶者を喪ったある男性は、葬儀は何とか無事に済ませたが、何もする気が起きず、呆然とした日々を過ごしていた。アルバムの整理をしていたことがきっか けだった。始めはアルバムの写真が散失しないように説明をつけようとした。そのうち、短い説明だけでは不充分となり、いつの間にか妻の一代記になってい た。
妻との最初の出会いから始まり、共に歩んだ生涯を詳しく記録した。それだけでなく、彼の知らなかった子供の頃のこと、友人たちとのつきあい、活動を調査し、さまざまな人に出会って取材して記録した。その仕事は二年以上かかった。
思い出すたびに涙がこみ上げ、筆が止まったことも再三であった。昔のことでもっとあの時彼女にしてやればよかったのにと悔いたり、古い昔の自分の軽口を 思い出して取り消したいと願ったり、作業は苦しみを自らに向けるものとなった。彼女の部屋は生きていた時のままにされていた。夜に寝ようとすると彼女の不 在が胸に突き刺される想いがして、夜は起きていて、昼間にソファーの上でまどろんだこともあった。それは、わざわざ悲しみを深くするための作業と思われる くらいであった。
親しい友人は彼の辛い作業を見ていて、思わず中止をし、早く妻のことを忘れるようアドバイスしたほうがいいのではないかと悩んだ。だが、死んだ妻のことだけに目を奪われた彼の姿は全てを拒絶するものだったので、友人は黙って見守らざるを得なかったという。
作業が半ばを過ぎたあたりになってから、彼は少しずつ元気になっていった。喪失感を上回って、彼女との生が、いかに自分を豊かにしてくれたことかを実感し始めたからだ。彼女の友人たちから聞いた楽しい思い出話は彼の心を慰め、癒してくれた。
彼がようやく作業を終えた時、彼は見事に立ち直っていた。彼女の生が意味深いものであったことを、つくづくと、心の襞に届くまでに実感できていた。自分 がいかに助けられたかも実感できていた。それだけではない。彼は以前はどちらかというと自分中心の勝手な人間であったが、他人を思いやる優しい感性の持ち 主に変身していた。彼を知る人は彼の目がやわらかくなり、彼が変わったと話し合ったほどである。
これがグリーフワークである。
どんな形がグリーフワークになるかは個人個人違ってくると思います。グリーフワークをしようと行動を始めたのではなく、「悲しむ作業」として行った結果であったと書かれていました。

キューブラー・ロス、野田正彰、デーケン氏らの描いたことによると、その悲嘆は 1衝撃、 2否認、 3パニックや怒り、 4抑鬱と精神的混乱、 5死別の受容──というプロセス(このとおりとは限らないという前提で)をもつ。
死は死ぬ者だけにくるのではない。死は愛する者にもくるのだ。
 震災から4ヶ月、一番辛い時期にさしかかっているのかもしれません。
新盆、無事に魂が愛する元に帰ってこれますように・・・


2011年8月8日月曜日

神戸新聞から学ぶ

神戸新聞では阪神・淡路大震災の特集を組んでいました
その中から少しづつピックアップをしていきたいと思います



短歌に誓う一歩 震災で親と死別の定時制高生
神戸新聞

阪神・淡路大震災で両親を失い、周りに背を向けるように生きてきた神戸市兵庫区の西山由樹(よしき)さん(25)が、一念発起して通い始めた夜間定時制高校を今春、卒業する。4年間、仕事と勉強を両立しながら、作文や短歌に心境をつづる中で自分と向き合った。

震災で 止まった時間 今日からは 変えて見せるぞ 名に恥じぬよう
亡くなった 父母への恨み 何処へやら 今では二人の 分まで生きる
人間の 死ぬより辛い 生きること 大きな根を張り 負けずに生きる


短歌を読むだけでどれだけの苦労や思いをしょってきたのかが伺えます
生きる事は本当に辛い、けど残された命、与えられた命がいま「目標は人並みに生きること」と笑えるようにまでなった。
東北大震災で被災した子供たちも、将来笑って目標が言えるよう
周りの大人が見守って支えてあげていけたらと思う

子供を亡くすという事

別れというのは突然すぎればすぎるほど現実を受け入れられないと思います
私は震災ではありません
流産という形で子供との別れがありました

現実を受け入れる前の段階で
自分を責め、周りを責め、現実や周囲との隔たりを感じ、ねたみ・・・・
それからようやく涙を流す事が出来るようになりました
もちろん皆の前では、本当の気持ちを心の奥にしまい
自分の気持ちが相手に伝わらないように笑顔ですごしていました


そんな、私の心はすぐに悲鳴をあげました

ありのままの気持ちを表現していい
ねたむ気持ちもあたり前のこと
ねたむ気持ちをもつ嫌な自分も認めてあげよう
無理しなくていい
私は同じ境遇のかたからそれを教えてもらいました
ネットではそれを表現できる環境があると思います

自分が生きているのが嫌になるくらい
自分が死んだ方がましだったのに・・・
子供の事を思うと楽しみも・悲しみも・笑う事すらまだまだこれからだったのに・・・
代われるものならば代わってあげたかった・・・
そんな思いが交錯しました


でも、子供は無条件に親が大好きで親の笑顔が大好きな存在と聞きます
今は無理でも、笑顔が一番の子供にとっての願いなのかもしれません
沢山、泣いて泣いて泣いて・・・その先に笑顔が戻ってきますように

亡くなった方々の名簿

亡くなった方々の名簿(全体集計)   47NEWSより

改めて知人の名前を確認すると涙がこみ上げてきます
また、亡くなられて方の子供さんの年齢を見ると苦しくてしかたありません

まだ涙すら流す事が出来ない方もいるかと思います
受け入れる事は大変な事と思います
遺族の方の心が少しでも軽くなりますように・・・・


塩釜市では8月11日(木)17:30~マリンゲート塩釜で
東日本大震災慰霊・復興灯籠流し
慰霊祭が行われます
申し込みが必要
灯篭 1個1000円
慰霊灯篭 戒名または個人名を記載 500個程度
問合せ:丸文松島汽船株式会社 TEL:022-365-3611

2011年8月7日日曜日

こころもメンテしよう サイト紹介

厚生労働省から
10代・20代のメンタルサポートサイト

こころもメンテしよう

発信しています

ちょっと紹介がてら引用↓

ストレス状態のサイン
こころ
* 不安や緊張が高まって、イライラしたり怒りっぽくなる
* ちょっとしたことで驚いたり、急に泣き出したりする
* 気分が落ち込んで、やる気がなくなる
* 人付き合いが面倒になって避けるようになる

カラダ

* 肩こりや頭痛、腹痛、腰痛などの痛みが出てくる
* 寝つきが悪くなったり、夜中や朝方に目が覚める
* 食欲がなくなって食べられなくなったり、逆に食べすぎてしまう
* 下痢したり、便秘しやすくなる
* めまいや耳鳴りがする


ストレスは早めの対処がかんじん

対処法がのっています

自分ではなかなか気付かないときがあります
体の変調は心からくるものなのか原因は分かりにくいと思いますが
悩んでいる事、心にたまっている事あれば相談窓口があります
相談窓口でも敷居が高い場合、気軽に投げ込みコメントしてみてください
王様の耳はロバの耳・・・・・
少しは気持ちが楽になるかも

手記・体験談募集

震災の手記・体験談の募集を行います
投稿のあった大切な手記は
hand in hand ~手を携えて~
こちらサイトにてまとめていきたいと思います
投稿いただける方は下記要領に従ってお願いいたします



【基本】
仮名(ニックネーム)
メールアドレス(非公開:大切な手記を預かるにあたっての連絡のみに使用します)

東日本大震災の手記の投稿

《投稿こちら》

(投稿基準や限定地域ありません)
・当時の状況、遺族との関係をお書き下さい
・自分の現在の思いを綴ってください
(何年後か追加で書き足す事可です)

その他震災の手記の投稿

《投稿こちら》

・被災にあわれた震災の名前をお書き下さい
・当時の様子・気持ち
・現在の気持ち
・東北大震災で被災した方へメッセージあれば

阪神大震災など16年経った今も心のケアが必要とされていると聞きます。
その他震災の投稿される方も、まだまだ前向きになれない気持ちなどあるかもしれません。
その他震災の方も心の整理の場にご活用していただければと思います。
応援メッセージだけを募集するつもりはありませんので、現在のお気持ちをお書き下さい。
お互いが手を携える場になればと思います。

*管理人が投稿内容を確認した上で、一部手直しが必要と思われたところは(漢字・おくり仮名などの基本的な間違い)手直しさせていただきます。ご了承下さい。
不都合あればいつでも編集・削除できますのでご連絡下さい。

コメントに返信でも構いません

hand in hand~手を携えて~ 紹介

hand in hand ~手を携えて~
↑サイトこちら


管理人   
すずりん(宮城県塩竈市)
2011.3.11東日本大震災を経験。 
私は遺族ではないが、周りに大切な方を失くされた方がいて
力になりたいと思っい、ネットで体験談を探していた。

その際、阪神大震災で奥さんを失くされた方の手記に出会う。
災害でご家族を亡くされた方々の手記」(東北地方太平洋沖地震と心のケア)
震災当時、藤本さんの経験談が本当に力になりました。
その出会いから経験者の体験談が一番の支えになるのではと思い、
このサイトを立ち上げました。

阪神大震災など16年経った今でも心のケアが必要とされていると聞きます。
色々な方の手記を通して、共感したり、力になったり、
同じ境遇の方同士が、そっと手を携える、
そんな環境作りのお手伝いが出来ればと思います。

遺族の方に役に立つ情報を集めながら、
ゆっくりですが情報発信していきたいと思います。