2011年12月22日木曜日

手記を書き続けるということ

先日、縁を結んでいただき
阪神大震災を記録しつづける会
の事務局長さんとお会いする事ができました。

阪神・淡路大震災の記録を手記や体験談といった形で記録し続けている会です。
色々なお話をさせていただき、沢山学ぶ面、感じる事ができ、出張の合間に時間を取って会いに来て頂いた事務局長さんに感謝申し上げます。

私自身、悲しみを手記という形に表すことで

自分の見えなかった思い
受け入れられない悲しみと向き合うきっかけ

になればと思っていたのですが
果たして私だけの思いなのかと悩んでいました。
もちろん、一人でも共感し何かを感じていただければ嬉しい事なのですが、

悲しみの受け取り方は本当、一人ひとり違う部分なので
手記を書くということが全ての人の心の支えになるものではないと思っています。

しかし、今回のつながりの中で背中をポンと押された部分もあったので
メールのやり取りのなかでご紹介いただいた手記を、
この場でも紹介させていただきたいと思います。 

震災から10年間、
亡くなられた旦那さまのことを一年に一回綴られ、手記集に投稿された方もおります。
安藤衣子さんという方で、当会HPに手記が掲載されております。
ぜひご覧いただければ幸いです。
一年目の手記と、10年目の手記のHPアドレスを記させていただきます。

一年目
http://www.npo.co.jp/hanshin/1book/1-032.html
十年目
http://www.npo.co.jp/hanshin/10book/10-003.html
 上記の手記を読んで、色々な思いが巡りました。
私自身の事を振り返れば、最愛の子供を産む事が出来なかった悲しみは一生続くものと思っていました。「時間が解決する」というのは「忘れる事」でなんの解決にもならないと、逆に「忘れる事」が怖くてたまらなかった時期がありました。
知らないうちに、子供との記憶をメモ帳に書き綴っていました。
しかし、9年経った今はやっぱり時間と共に忘れていて、日々の暮らしの中でもたまに思い返す位です(幸せな事に、子供が生まれ新しい環境に身を置けるようになったからだとも思いますが )
しかし、手記があるからこそ読むことで、当時の思いにタイムワープ出来、すぐ記憶の中の子供たちに会いに行く事もできるし『忘れる事の恐怖』を免れている部分もあります。

やっぱり、手記を書くということは重要なんだ

と改めて思った出会いでした。
年の節目に手記を書いていただくといった形は凄くすばらしいと思いました。
私自身、この活動は大きくはなく出来る範囲での活動ですが
微力ながらお手伝いしていけたらと思っていました。

阪神大震災を記録しつづける会

さんでも、お子さんの亡くされた方が「この世から子供達が忘れ去られる事の怖さ」がり
せめて自分だけでも生きていた証を残したいという思いでいると聞きました。
皆さん同じ思いなんだと改めて思いました。


手記を本に・・・まではいかないまでも
ご自身の形見となるようなものとして残していける物作りはしたいと思いました。


そして、改めて手記というと悲しみの部分の要約になるような気がするので
日々の思いを込めた「日記」というような形がいいと感じたりもしていました。

もし、手記というと書きづらい部分もあるかもしれませんので
メモ帳に日々の思いを綴っていく事はお勧めしたい事だと思います。

2011年12月14日水曜日

小冊子が出来ました

          
NHK神戸放送局さんからのおつなぎもあり、阪神・淡路大震災で大切な方を亡くされた方や、ご遺族の方からの手記を頂きました。
その思いに感動すると同時に、やはり辛い経験をされてきた方の言葉というものには、力があり是非伝えて行きたいと思いました。
東日本大震災の遺族の方や、大切な方を失った方などなかなか受け入れられない部分もあるかもしれませんが、いつかページをめくれる日が来る。自分の手記を書けるようになる日が来る。と阪神大震災の経験した方の手記を読み、そんな日もきっと訪れるんだと勇気を頂きました。
少しでも、心安らぐ時間が訪れますように。


HPなどパソコンを見れない方の為に簡単ながら小冊子を作成いたしました。
小冊子では
阪神・淡路大震災の経験者の方の思い5名の方の手記
東日本大震災で被災された方の手記と1名の方の手記
阪神・淡路大震災の手記を読んだ感想1名の方
をまとめています。

1部からでも郵送いたしますので、お問合せください。
問合せフォーム
http://form.mag2.com/newouslaes

2011年12月7日水曜日

頑張らなくていい・・でも、頑張らないと。

今、「がんばらなくていい」。
泣けるだけ、泣こうよ。
その分の思いはしているんだから。。。。

きっと周りの方も色々、心配して声をかける言葉を探しながら
必死で見守ってくれていると思います。

「がんばらなくていい」

この言葉に、救われた方もいると思います。
でも、時には、本当に頑張っている時に言われると
「ようやく、頑張ろうとしているのに・・・」
「何が分かるの??」
と、私は思うときもあったかもしれません。

必要以上の頑張りは、自分を苦しめる結果になるし、
だからと言って、頑張らなかったら、、、、、、、

こんなに悲しい思いをしたんだから、ここに立っていられないよね。

皆の前にいるというのは、すごーーーく、頑張っている私がいるからの。

気軽に私に声をかけないで!!!

流産をした私の、自分が一番嫌な時の気持ちの中です。。。

笑顔で接しながら、心の中では閉じきっていました。

本当、人間ってそのときの感情や状況によって
受け方が違ってくるから本当に難しい。

「頑張らなくていい」
この言葉が、悲しみを抱えている人へ掛ける言葉の代名詞のようになっているような気がしますが、
やっぱり、状況やその人にもよりますよね。
結局、悲しみを抱えた人に掛ける言葉にマニュアルはないんだと思います。

そして、9ヶ月経った今。
もがきながら頑張ろうと思っている人も多くいらっしゃると思います。
頑張り、応援します。

その頑張りの中には沢山の決断や思いもあるはず。
疲れたら休む。
そして、また頑張る。

生きるという事はやっぱり大変だと思いますが、
きっと私のお腹の中で去っていた子供たちは
この「生きる」という輝きが欲しくてしかたなかったんだと思います。
私はやっぱり、あの子達の分まで生きようと日頃から思っています。

で、辛くなったらネットでつぶやく。

いつでも待っていますね。

2011年12月3日土曜日

時には心の支えになる本達

今回の震災の体験談ではないけれど、子供を亡くされた方の思いをまとめた本です。
流産した時に読んでいた本ですが、本好きの私が人生で一番本を読んだ時期だったと思い出しました。

子供を失う悲しみの心の居場所を求めるのに本やネットから情報を得ようとしていました。
ネットでは情報が多く時間もかかるので、本からの情報は分かりやすくストレートでとても心の支えになりました。


簡単なご紹介。
当時はこの本のおかげで沢山泣く事ができたように思えます。
他にも沢山の本が出ており、金額が高いので気軽ではないのですが情報までに。





2011年11月24日木曜日

本サイト更新情報

東日本大震災での手記を頂きました。
本サイトでご確認いただけます。

東日本大震災の手記

手記の投稿ありがとうございます。

2011年11月23日水曜日

千の風になって

私は天邪鬼なのか、ブームといったものが苦手です。
なので「千の風になって」が流行った際に耳を傾けはしませんでした。

でも、最近目にする機会があって色んな翻訳を読ませていただいた際に、確かに心の中に入ってきました。

tagoshuさんの訳です

私はあなたの中にいる。だから、私は死なない
だから、あなたが感じる全てを、私も感じることができる
あなたが大切にしている全てを、私も一緒に大切にしていくことができる
だから、私のお墓の前に立ちつくして泣かないで
一緒に風を感じよう

私があなたの中にいるように、あなたも誰かの中にいる
その誰かの中には、私もいるということ
だから、私は死なない
世界の全てと繋がっているこの風が
決して途絶えることがないのと同じように

目を閉じて、風と共にいろんな事を想像してみました。

心の中で感じる事・・・共に過ごした時間を想像するだけで支えになるときがあります。
辛い・悲しい思いを超えて、これから先も心の中でですが共に生きていきたい。
そう思いました。
季節を感じ、自然を美しいと感じる時が訪れますように・・。

2011年11月18日金曜日

沢山の思いを頂きました

先日NHK神戸放送局さんのほうでhand in handの取り組みを取り上げていただきました。
訪問者が増えたのもそのおかげだともいます。

まだまだ、小さい活動なのですが、阪神・淡路大震災で被害に遭われた方からの手記を頂き、そして読ませてい頂き沢山涙を流したと同時に、本当にありがたいと思いました。

塩釜での被害は小さいのですが、それゆえ私なんかが弱音を言えない・・・
といった部分も見えながらも、周囲の被害のなかった方と比べ「どうして私だけが・・・」
といった感情もあるようです。

地域に留まらず、東日本大震災という枠に留まらず、「思いやり」といった純粋な思いで今回やり取りできた事が本当に嬉しく、得るものが沢山ありました。
阪神・淡路大震災の手記を読んで、見えない未来に希望が出たとの声も聞かれました。

私自身、自分の経験から一人走りしてきた部分もあり、悩みもあったのですが、
今回の放送を期に、東日本大震災の方と阪神・淡路大震災の方との係わり合いの意味も小さいながらも感じ取れましたので、今後の活動に勇気をもって望んでいきたいと思います。


hand in hand の活動も 阪神・淡路大震災などの手記が集まり次第、こちらでの活動も進めていこうと思っていたので、少しづつ皆さんの手記を思いを伝えていけたらと思います。

本当に、皆さんからの思いは想像以上に深く、温かく、支えになることでしょう。
東日本大震災の方にとって、まだ、まだ、事実に向き合うのには辛く感じる方は沢山いると思いますが、見守る事の大切さは必要だと思います。それまで、私なりに出来る事進めていきたいと思います。

東北は寒さが厳しくなってきました。
当時と同じ気温を肌で感じると、蘇る部分もあると思います。
少しでも、心安らぐ時がありますように。

ありがとうございます。

2011年11月12日土曜日

本サイト更新情報

阪神・淡路大震災の方の手記が届きました。
本サイト hand in hand にてご確認いただけます。

息子夫婦が被災で亡くなられたという事です。
こうして、辛い・悲しい手記を頂く事で、大切に丁寧に活動して行こうと改めて思います。
本当にありがとうございます。

振り返る

最近、色々な事を思い返すきっかけがありました。
初めて流産したときの事、私の頭の中は「私」と「失った子供」だけの悲しみの世界でした。
笑う事も、美味しいものを食べるのも、嬉しい事もこれからだったのに。
代わってあげたかった、私が苦しみを背負ってあげたかったと自分自身の存在が居てはいけないもののように感じていました。
悲しみの最中でもお腹は空くし、食べれば美味しいと感じる事も悪いように思えて、
私の命が代わりになればよかったのに・・・と何度も思いました。

でも、そんな私の横には夫がいました。
両親がいました。
皆心配してくれていました。
私の命もまたかけがえのないのもだと気付きました。

生きるというのは本当に大変な事だと思います。
つながりの中で生きているという事、
改めて思い返していました。

寒きなって来ました。
お体お気をつけください。ご自愛していただければと思います。

2011年11月3日木曜日

津波のばかやろう

塩釜のとあるアパートの前に未だに、
「津波のばかやろう」と書かれた看板が置いておあります。

震災は自然相手なので怒りの矛先がありません
この看板が気持ちよく感じるのは、
正直な気持ちの現われだからでしょう。

昨日、冬に向かうきれいな青空を見上げました。
飛行機雲も横切り、思わず息をのみました。

自然は壮大で、美しいものであり、怖いもの、恐ろしいものでもあります。
なかなか普段の暮らしでは、自然の恐ろしさを感じる環境にありません。
今回の震災では憎らしい自然でしたが、癒してくれるのも自然の力。
不思議です。

私の被災した知人で、
「不謹慎かもしれないけど、土嚢袋で囲まれた水溜りに映る満月が綺麗だった」と言っていました。

3.11の夜、空は火災の日で赤くなっており恐怖を覚えましたが、一方で塩釜でこんなに綺麗な星を眺めた夜もなかったと思い出しました。



未だに太平洋の海を眺めるのが出来ません。
私以上に見ることの出来ない方が沢山いると思います。
そのうちに、海を眺められる日が来るのでしょうか・・・


2011年11月2日水曜日

沢山の思い

子供が先に往くというのは、親にとってというより人間にとって一番辛い事のように思います。
何を差し置いても、守るべきものを失った事への責任が自分自身に降り注いできます。

私も妊娠4ヶ月で子供を失ったとき、自分が代わりたくて、代わってあげたくて、自分が生きているのが嫌になるくらいでした。
でも、(4ヶ月でもきちんとした形をしているのですが)産んだ娘の顔が、本当ににっこりと笑って、それはもうかわいくて仕方がない位の表情でした。
お腹の中で苦しかっただろうに、生きたかっただろうにと思う反面、あの笑顔を見ると、私も頑張らなくてはいけないと心の中で思った事がありました。
あの子の分まで「生きる」という事にきちんと向き合おうと。

実際は、泣いて・泣いて・めげて・頑張ろうか・でも駄目・泣いて・泣いて・頑張ろうか・・・・

位の頑張りでしかなかったような気がしますが。

当時の思いの詩をまたご紹介

ありがとう

ごめんね」と
言いたくてもいえなくて
何度自分を責めただろう

「ごめんね」と
言いたい時にもういない

後悔ばかりが表立ち
何度も自分を責め立てた

でもね、声が聞こえたの
確かに声が聞こえたの

「もういいよ、泣かないで」って声がした

悲しい顔は見たくない
僕のせいでなかないで
笑った笑顔がみたいから
もう責めないでねっ、ママ

涙がほほをつたった
前とは違う涙の色
ごめんねからありがとう

明るく笑顔を見せてみた
あなたのママになれたこと
心からのありがとう


こうして、色んな思いをメモ帳に綴っていました。
それも、これも子供たちとの思い出の時間だと思っています。





2011年10月29日土曜日

記事ピックアップ 東日本大震災:愛する家族失った人の力に 11月3日

東日本大震災:愛する家族失った人の力に 来月セミナー

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111030k0000m040082000c.html

(毎日新聞) 2011年10月29日 21時45分 

子どもを亡くした親でつくるNPO法人「大空の会」(東京都東大和市)が11月3日、仙台市内で「死別体験者のための癒しのセミナー」を開く。都内で毎月、思いを語り合うセミナーを開いており、今回初めて被災地に出向く。震災犠牲者の遺族らに広く参加を呼びかけている。

会は02年に設立。事故や病気、死産などで子どもを亡くした親たちが集まり、定例セミナーでの懇談を通し、互いの思いを分かち合っている。故人の思い出を語りながら涙する人もいるが、趣味やペットなど明るい話題にも及び、笑顔に包まれるという。
 瀬野彩子会長は「生きていくには笑いも必要。悲しむだけの会にはしたくなかった」と話す。瀬野さん自身も99年に長男(当時3歳)を交通事故で亡 くし、「もう立ち直ったの」「いいかげん忘れたら」など周囲の言葉に傷ついたという。瀬野さんは電話相談にも応じており、震災による津波で家族が流された 男性は、電話口で自分だけが生き残ったことを悔やみ、「本当にいい子だった」と感謝を繰り返したという。「つらさは経験者にしか分からない。震災で愛する 家族を失った人に、ぜひセミナーに参加してほしい」
 3日13時半から、仙台市青葉区五橋2の市福祉プラザ。子どもとの死別に限らず、親族や知人を亡くした人も参加できる。参加無料。要予約。問い合わせは電話042・562・6803、メール(oozoranokai38@yahoo.co.jp)。

 

記事ピックアップ!!子を亡くした親、悲嘆分かち合う

子を亡くした親、悲嘆分かち合う 被災地で取り組み 

http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/higashinihon/0004382056.shtml

神戸新聞から(2011/08/18 12:15)

東日本大震災の死者・行方不明者は2万人を超える。阪神・淡路大震災を上回る大きな犠牲は、人々にどれほどの悲嘆をもたらしたのか。とりわけ苦しみ が深いのが、津波で子どもを失った親たちだという。被災地の東北では、そうした親たちがつらさを分かち合い、支え合う自助の取り組みが徐々に広がっている。

 宮城県北東部の石巻市は死者・行方不明者が約4千人。市民の40人に1人が犠牲になった。
 津波で子どもを亡くした親の集いが開かれたのは先月31日。会場となった市役所の研修室には母親7人が姿を見せた。
 部屋に入るなり誰もが涙を流す。初めて会った人も、思い切り泣くことから交流が始まった。
  「助けてやれなかったという自責の念。子どもとまだ対面できていない親もいる。全部流されて遺品もない。けれど避難所では泣き声を上げられない。普段は耐 えているが、誰もが内に悲しみを抱えている」。会を呼び掛けた仙台市の主婦、田中幸子さん(62)は遺族の心情を代弁する。
 「みんな3月11日に子どもを失った。同じ境遇だから互いの苦しみを感じ取れる。遺族が生き続けるには、そうした絆を長く育むことが何よりの支えになる」
 今月初旬には、やはり津波被害が甚大だった気仙沼市で会を開いた。
 田中さんたちが遺族の支え合いに取り組む背景には、子を亡くした親の悲嘆の深さがある。
 「悲しみを癒やすというけれど、悲しみは癒えたりはしない。死ぬまで自分と共にある」
 そう語る田中さん自身、6年前に警察官だった長男を亡くした。過労による自死だった。
 自死遺族への周囲の目線は冷たい。共に泣き、語り合える人がどれほど支えになるか。そんな体験から自死遺族の会「藍の会」を立ち上げた。
 今は自死に限らず、いろんな原因で子どもを亡くした親たちの「つむぎの会」も開く。
 語り合う。気持ちを分かち合う。誰かが上に立つのではなく、横の関係でつながり合う。
 あくまで自助が中心だが、精神的な治療など医療が必要な人もいる。生活再建には行政の援助が、財産などの問題では弁護士の助言が不可欠だ。そんな場合は支援してくれる専門家の協力を得て、必要な支援につなぐ。
 田中さんの取り組みを知って、阪神・淡路大震災の遺族からも協力の申し出があったという。「自助は地域を超えた結びつきが大切。ぜひ東北で体験を話してほしい」 声を上げられない遺族は少なくないと考える。「被災地は広い。自分たちで支え合っていけるよう、地域で自助グループのお手伝いをこつこつしていきたいんです」 問い合わせは田中さん方TEL022・717・5066(ファクス兼用)

 記事に出ていた藍の会HP
一番下につむぎの会の案内が出ています



2011年10月24日月曜日

本サイト更新情報

hand in handのサイトに
神戸から届いた震災の手記をアップいたしました。

同僚だった方を亡くされたそうです。
若い方の死は、尚の事悔やまれます。
色々な事を想像しては重ねて祈るばかりです。


嬉しい事に、折鶴も頂きました。
















とても素敵な折鶴で、思いが伝わってきました。
ピンクのお花が可愛いです。

自分が思いがけない悲しみに出会った時、
自分とまったく同じ経験をした方のお話を聞きたくなりました。
人と会いたくない時、ネットにかじりつきました。
そして、似たような体験談を読み涙を流しました。
多少ならず、救われました。
 
今、現段階の思いを綴った体験談もきっと次につながるし、
体験談が人の支えになることがあると思います。

そんな場所作りにご活用いただければと思います。

引き続き、
東日本大震災の体験談、
および
阪神大震災などの、その他震災の体験談
募集中です。



2011年10月18日火曜日

本サイト更新情報

hand in hand

本サイトちょこっと更新しました。
装いも新たにしました
(1ページづつにしてみました)
携帯からも少しは見やすくなったかしら・・・
いまいち分からずに作っているのでご指摘あればコメントください

ようやくゲストブック登場

名前色紙の贈り物プレゼント

神戸の亀田さんから名前色紙の贈り物を頂きました
名前の漢字を入れ、連想した唄を色紙に書いていただけるという贈り物があります
住んでいた地域(唄を読む際の参考)や、入れて欲しい文字などあれば同時に入れてくれます

私も作っていただきましたが、とても元気のもらえる一枚でした

元気になってほしい方への贈り物や、大切な方の形見
もしくは夫婦二人の名前での唄も詠んでくれるので思い出にもなると思います

無料にて郵送いたしますので

ご希望の方は問合せフォームにて、
 色紙希望と明記
 名前(例1:塩釜太郎 地域:港町)
    (例2:夫婦連名でお願いします 塩釜太郎 花子 好きな文字:優しい)
 住所(郵送先)
 メールアドレス(あれば)

をご記入の上返信してください
亀田さんから直送ではなく、一旦私で預からせていただき郵送いたしますので
住所の管理は管理人@すずりんが承ります

  問合せ

もしくはすずりんのメールにどうぞ
 shiogamamama*gmail.com
(*を@に変えてえて送信してください)


2011年10月13日木曜日

グリーフワーク 悲嘆のプロセス

よく悲しみと向き合う心の過程で 
「悲嘆のプロセス」
として説明されている記事を見ます

すべてが当てはまりはしないものの
段階を見ると、自分がどの段階にいるのか
皆も同じ気持ちになっているんだと安心したり・・・
恨んだり・妬む気持ちは当たり前なんだと自分の気持ちに素直になれたり・・・
少しは参考になるのではと思いこちらでも紹介いたします

*************************************************************
ぱむの会レポートさんから一部抜粋

アルフォンス デーケン:12の段階 
デ-ケンは、この辛い12の段階を誰かが代わって行うことはできない、自分の中で時間をかけて消化するより仕方がないと力説している。

1精神的打撃と麻痺状態
頭の中が真っ白になる。心身のショックを少しでも和らげようとする本能的な働き(防衛機制)である。
「お葬式など、あまり覚えていませんし、夢中の出来事のようです。泣くこともできず、周りからしっかりしているとか、泣かないことを非難されたりします。」


2否認
感情が受け入れられないだけでなく、理性も相手の死という事実が認められない。帰ってくるような気がしたり、声を聞いたりする。
「あの人が死ぬわけがない」

3パニック
パニックを未然に防ぐことが、悲嘆教育の大切な目標の一つ

4怒りと不当惑
不当な苦しみを負わされたという激しい怒りが沸き起こり、何で私だけがこういう目にあわないといけないのだろうかという不当感が発生することもある。何故私にこんなにひどい運命を課したのか。私は何も悪いことをしていないのに何故こんなひどい目にあうのかという不当感である。とりわけ突然死の時に強 い。無理に感情を押し殺さず上手に発散させる。

5敵意と恨み
残された人は、周囲の人々や亡くなった人に対して、敵意や恨みという形でやり場のない感情をぶつける。
医療者や亡くなった人自身が対象になりやすい。

6罪意識
罪意識は自責感であり、多くの遺族をひどく苦しめる。

7空想形成、幻想
出張していると思い込もうとしたりする。

8孤独感と抑うつ
葬儀などの慌ただしさが一段落すると、まぎらわしようのない独りぼっちの寂しさがひしひしと迫ってきます。

9精神的混乱と無関心
日々の目標を失った空虚から、全くやる気をなくす。人と話すことも、出かけることもとてもおっくうになる。

10あきらめ→受容
受容とは事実を真実として積極的に受け入れていこうとする行為のことである。愛する人はもうこの世にはいないという辛い事実を自ら受け入れることができるようになる。

11新しい希望
忘れていた微笑みがもどり、新しい自分へと成長していく。

12立ち直りの段階~新しいアイデンティティーの誕生

キャサリン・M・サンダーズ


1.ショック(Shock)
2..喪失の認識(Awareness of Loss)
3.保護と引きこもり(Conservation and the Need to Withdraw)
4.癒し(Healing)
5.再生(Renewal)


上記の内容を要約すると、愛する家族との死別を体験した場合、殆どの方は最初にショックを受け頭が混乱し真っ白な状態になります。

その後、喪失の認識がされ始めると大きな悲しみ・怒り・罪悪感などを感じ、精神的にも肉体的にも消耗し不安定な状態が続きます。

喪失の認識の後には、大きな悲しみ(痛み)により休息が必要となります。

一人になり(引きこもり)十分休息を取る事が重要となります。
この時期には、無力感や疲労感が支配します。
休息が十分に取れれば、心も体も癒され自分自身をコントロールする事が少しずつ可能となります。これが癒しの段階です。
転換点はもう直ぐです。悲しみが無くなる訳ではありません。
しかし、愛する者の死を確りと受け止めて、再び前向きに生きる再生を迎える事となります。
******************************************************************

 私が子供を亡くした時は
1、ショック
2、罪意識
3、引きこもり
4、妬み
5、喪失の認識
6、目標

過程を取ったような気がします
目標というのが、私なりに子供を失った意味を考え「生きている私がやらなくてはいけない事」と勝手な責任感が芽生え、誰かの為に役に立ちたいと、悲しみを忘れるかのごとく私の場合は体験談を書き綴った経験があります。
 もちろん、大切な人を亡くす経験なんてしない方がいい。
でも、悲しみを経験して分かった事も沢山あった。
自分の成長にもつながったような気がします。
それは、あの子が命を通して教えてくれた私への財産。

震災なんてなかったほうがいい。
皆笑顔で暮らせるなら、3.11前に戻って欲しい。
そう願うばかりです。
 でも、起きてしまった。

これから先、どんな事があるのか分からないけど
きっと大事な人は見守ってくれていると信じたい。


きれいごとではすまされない
悲しみだけではなく、家も家財もなくなったという今回の震災


すべてを流された、物がないというのをなかなか理解してもらえない・・・
そんな声も聞きました
やはり、同じ土俵に立ったものだけが言える言葉があるのかもしれない

そう思う今日この頃です


2011年10月11日火曜日

お役立ち グリーフケアのご紹介

宮城県でグリーフケアの活動されている
仙台グリーフケア研究会さんのご紹介です

仙台グリーフケア研究会のブログ
遺族のわかちあいの会と小中学生のためのプログラム 年内の開催予定についてお知らせ致します。
開催日は10月15日(土)、11月19日(土)、12月17日(土)です。
詳細については下記をご覧ください。

大切な人を亡くしたかたの「わかちあいの会」
病死・事故死・自死、そして今回の震災で大切な方を亡くされた方も参加できます。
わかちあいの会では、ご遺族同士が今の気持ちや困ったことなどをお話することができます。
普段の生活の中ではなかなか話せないことや、ご遺族同士だから分かり合える気持ちなどを話すことができます。
また、わかちあいの会の中で話されたことは他に漏れることはありませんので
どうぞご安心ください。詳しくは末尾の連絡先までお問い合わせください。

日時:10月15日(土)、11月19日(土)、12月17日(土) 午後2
時~4時30分

場所:仙台青葉学院短期大学 地下鉄五橋駅から徒歩5分
対象:大切な人を亡くされた方(死因は問いません)
参加費:無料


小中学生のためのプログラム
大切な人を亡くした小中学生ワンデイプログラムでは、 大切な人をなくした小中学生があつまって、お話しをしたりゲームをしたり、楽しい時間をすごします。
それから、なくなった大切な人のことを話してつらい気持ちを友だちとわかちあうこともできます。
1人でさみしい気持ちをかかえているあなたも、きっと同じ気持ちをわかちあえるお友達と出会えると思います。あそびにきてみませんか?

日時:10月15日(土)、11月19日(土)、12月17日(土) 午後1時~午後4時半
場所: 仙台青葉学院短期大学 地下鉄五橋駅から徒歩5分
参加できる人: 親やきょうだい、大切な人を亡くした 小中学生
(保護者同伴であれば、幼児も受け付けます。まずはご相談ください)
参加費:無料
保護者の方へ:保護者向けのプログラムも同時に開催しています。
配偶者を亡くした親同士で子育ての悩み等、語り合える場があります。

お問い合わせ・お申込みは
仙台グリーフケア研究会事務局まで
電話: 080-3326-5612 FAX: 022-369-8012
電子メール: griefoffice@gmail.com

年内の予定だそうです
語り合える場所があるというのは嬉しいですね

2011年10月2日日曜日

訪問ありがとうございます

訪問ありがとうございます
神戸新聞さんの方に、阪神大震災での体験談募集の呼びかけを載せて欲しいとお願いしたところ、記事にしていただきました。
当初すごく悩んだのですが、多くの方の助けになればと承諾させていただきました。
ありがたくも2名の方からのお返事があり、つながりがもてました。
どんな短い文章でも、どんな現状でも、コメントでもメールでもお寄せいただければと思います。



さて、3日前に地震速報が鳴ったのですが、落ち着きません。ソワソワしております。
大丈夫だったのですが、ちょっとした事で動悸が起こったりしています。
遺族の方はきっと、もっと怖い思いをしているのではないかと思います。

私は娘の妊娠の時、秋口につわりが酷かったのですが
この寒い空気を感じると、思い出しては気持ち悪くなったりしてしまいます。

これから震災当時と同じ冷たい空気の季節になります。
水道の水で顔を洗う時、冷たい空気を呼吸する時、、、、
ふとした瞬間に、あの当時の事が蘇ったりするのではと思います。

些細な事でもつぶやけるようにHPの方でも掲示板を考えております。
今しばらくお待ちくださいね。





















2011年9月27日火曜日

ゆっくり受け止めたい

幸い私は家族が無事でした
目を伏せていた部分もあったのですが
少しづつ少しづつ現状を把握しようと記事やブログを読ませていただいています

読みながら手が震え、涙で画面が見えなくなるほど
本当に酷い震災でした
当事者にしか分からなかった現状
現場の跡形から、最後の様子を想像してやりきれない思い
現場でレスキュー作業にあたった方の苦労
数え切れないほどの痛みが広がっていました

残された家族はこの先どうやって生きていくのか
妻や子供、恋人を亡くされた方・・・

何も出来ないけど
私なりに悲しみに寄り添っていく方法を模索したい
皆で寄り添えれば悲しみが半減する・・
なんて簡単な事じゃないのは分かっているけど
寄り添う気持ちだけは持ち続けたいと思います

震災で命が助かったという意味を考えながら

昔、お腹の中で子供を亡くした際に書いた詩です
なんとも恥ずかしいのですが
当時は手探りの中でも、子供の存在や自分の心の拠り所を捜していました
「意味」という言葉にのせて使命感のようなものに私は頼っていたのでしょう
頼るものがなければ生きていけなかった気がします
ご紹介↓

意味があるんだ


無駄なことなんて
この世にはない
あなたを授かった意味も
必ず存在する

あなたを失って
命の大切さを知った
同じ境遇の人が
こんなにも多くいることを知った
そして悲しみに向きあい
前向きに頑張っている人たちに出会った

あなたがいなければ
知らなかった世界
世の中には
多くの命がある
色んな形の命がある
そしてそれを受け取る
色んな人がいる

命の塊
それが地球
私達も生きている

生きているからこそ
何かを感じ
何かを受け取る

あなたの分まで
感動も悲しみも
沢山感じたい

あなたがいた意味を
けして忘れない為に









ピックアップ記事 祖父が悲しみの手記 「泥の中の孫を息子はみつけた」

新聞からピックアップ、ご紹介いたします

祖父が悲しみの手記 「泥の中の孫を息子はみつけた」(SANKEI EXPRESS

 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/507121/

息子は執念で泥に埋まった孫の遺体を見つけた。東日本大震災の津波にのまれた岩手県釜石市の避難所で長男の妻と6歳の孫が犠牲になった釜石市定内(さだな い)町の無職、菊池通幸(みちゆき)さん(63)が産経新聞に手記を寄せた。孫の姿を求め遺体安置所を回った1カ月間の苦しみ、泥だらけの遺体と対面した ときの悲しみ。手記には残された家族の癒えぬ傷がつづられている。

■お父さんの執念
《4月7日 歯みがきをしていたら辰弥から電話が入り、涼斗(すずと)が見つかったと、ふるえる声で連絡が来た。私もあわてた》
震災があった3月11日、長男の辰弥さん(35)の妻、琴美さん=当時(34)=と、体調不良で保育園を休んだ長男の涼斗君=同(6)=は、釜石市鵜住居 (うのすまい)町にある琴美さんの実家にいた。2人は近くの鵜住居地区防災センターに逃げ、津波にのまれた。センターは直前の津波訓練で避難先になってい た。
辰弥さんは職場、長女の風音(かざね)ちゃん(3)は保育園にいて無事だった。琴美さんの遺体とは18日、遺体安置所で対面した。セ ンター2階で見つかり、《間違いなく琴ちゃんだった。きれいな顔をしていた。本当に残念でくやしい》。顔に化粧をして浴衣を着せ、納棺した。
火葬は済ませたが、涼斗君が見つかるまで葬式を執り行う気にはなれず、辰弥さんらと遺体安置所やセンターを捜し歩く。《センターの東側河川方向を捜索したが、どうしても発見できない。時間だけが過ぎていく。気があせる。他人の写真、アルバムを発見して届ける日々が続く》
4月3日にはセンターでテーブルなどの下敷きになっていた女性の遺体を見つけた。《ひざをついた状態で前かがみになり、顔が泥の中にべったり付いていた。腕には手提げバッグがありました》《かわいそうすぎる。手を合わせ泣いた。孫のことを思うと心配で心配で泣けてくる》
■「毎日泣く日々」
7日に涼斗君の遺体を見つけたのは辰弥さんだった。毎日のように捜し回ったあのセンターの1階で、両手足や顔が泥に埋まっていた。額をぶつけ、鼻血を出した跡もあった。「2階で引き波でさらわれ、琴ちゃんと離れ離れになったのではないか」と思い、胸が締め付けられた。
《何回も見てる場所なのに見つけてやれなかった。本当にごめんな、ごめんな…。辰弥はやっぱりお父さんの執念で涼斗につながったと思った。お父さん、涼斗ここにいるよ、ここだよと言ったと思う》
湯につけたタオルできれいに遺体をふき、パジャマを着せて棺に納めた。大好きなポケモンのグッズ、4月の小学校入学式で履くはずだった革靴を入れた。
8日にセンターで警察による大規模な捜索が行われたというが、思いは複雑だった。《早くやれば、早く発見できたと思うと腹が立ってしょうがない。多くが避難した場所で死人も多く、行方不明者も多い現場を後回しにした》
9日には火葬場へ向かう際に保育園先生たちが駆け付けた。園長が卒園証書を読み上げたとき、無念で涙がこみ上げた。《毎日泣く日々。でも2人そろって葬式ができてよかった》
葬式は23日に遠野市内の寺で行われ、保育園の子供たちも参列。祭壇の前で涙を流す子供たちに女性の先生が「さあ歌いましょう」と声をかけ、みんなが涼斗君のために歌った。
震災から2カ月が過ぎたた今も9000人以上が行方不明で、多くの家族が不安、焦りに苦しみ続ける。
《いまだに発見されず、行方不明の皆さんが1日も早く見つかるよう祈るだけです》
□□□
≪避難場所で犠牲「うやむやにしたくない」≫
東日本大震災から2カ月近く過ぎた5月上旬、菊池通幸さんは手帳の記録と記憶を頼りに手記をしたため始めた。長男の妻の琴美さん、孫の涼斗君が命を落とした場所が津波訓練の避難先に設定されていたことを「うやむやにしたくない」と思ったからだ。
岩手県釜石市によると、現場の鵜住居地区防災センターは地震直後に逃げる1次避難所ではなく、地震後の避難生活を送る拠点避難所。だが震災8日前の訓練で、釜石市は高齢者の体力に配慮して住宅地にあるセンターを避難先にした。
震災時、大勢が訓練通りに避難して50人以上が犠牲になった。野田武則市長は3月下旬、「訓練でセンターを避難場所にしたことは市側の甘さ」と答えたが、菊池さんは「市から説明を受けておらず納得できない」と憤る。
妻子を失った辰弥さんと風音ちゃんは夜、仏壇のある茶の間で寝る。風音ちゃんは保育園から帰ると、仏壇に「お母さん、お兄ちゃんただいま」と話しかける。そして「お母さん、お兄ちゃん遅いね」と聞いてくることもある。
菊池さんは誓う。「涼斗の分も、風音を守り、幸せにする」
(高久清史/SANKEI EXPRESS





2011年9月23日金曜日

好きな曲

以前から好きだった BUMP OF CHICKEN

震災以来は聞けなくなってた曲がありました
いつも途中でやめてしまっていましたが、今日涙を流しながら聞きました



supernova BUMP OF CHICKEN ★★pray for japan★★




歌詞の紹介


歌手 BUMP OF CHICKEN
作詞 藤原基央
作曲 藤原基央

熱が出たりすると 気付くんだ 僕には体があるって事
鼻が詰まったりすると 解るんだ 今まで呼吸をしていた事

君の存在だって 何度も確かめはするけど
本当の大事さは 居なくなってから知るんだ

延べられた手を拒んだ その時に 大きな地震が 起こるかもしれない
延べられた手を守った その時に 守りたかったのは 自分かもしれない

君の存在だって もうずっと抱きしめてきたけど
本当に恐いから 離れられないだけなんだ

人と話したりすると 気付くんだ 伝えたい言葉が無いって事
適当に合わせたりすると解るんだ 伝えたい気持ちだらけって事

君の存在だって こうして伝え続けるけど
本当のありがとうは ありがとうじゃ足りないんだ

僕らの時計の中 ひとつだけでもいいから
本当を掴みたくて 本当を届けたくて

歳を数えてみると 気付くんだ 些細でも 歴史を持っていた事
それとほぼ同時に 解るんだ それにも 終わりが来るって事

君の存在だって いつでも思い出せるけど
本当に欲しいのは 思い出じゃない今なんだ

君を忘れた後で 思い出すんだ 君との歴史を持っていた事
君を失くした後で 見つけ出すんだ 君との出会いがあった事

誰の存在だって 世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって 造られる

君の存在だって 何度も確かめはするけど
本当の存在は 居なくなっても ここに居る

僕らの時計は 止まらないで 動くんだ

2011年9月12日月曜日

震災から半年

今日で6ヶ月。

半年を区切りに行方不明者の死亡届の提出を考えている方もいるそうです

死亡届、被災3県で3281人 震災による行方不明者(河北新報)


仙台法務局と盛岡、福島両地方法務局の直近の集計が出そろった2日現在、宮城、岩 手、福島の3県では震災による行方不明者3281人について死亡届が提出され、うち3250人分が受理された。不明者の家族の約8割が死亡届を提出してお り、震災の発生から半年を前に、心に区切りを付けようとしている。
受理数は宮城県が最多の1630人。うち石巻市が560人、女川町が325人、気仙沼市が280人、南三陸町が260人だった。岩手県は1429人で、大槌町が503人、陸前高田市が309人など。福島県は191人だった。
仙台法務局は「届け出は6月がピークで、初盆の8月にかけて緩やかに増加した。届け出をしていない家族にとっては、心情的に来年3月の震災1年が区切りになるのではないか」とみている。

2011年09月11日日曜日


そんな中


まだ待っていたい・・・「あなた」捜す日々 不明者家族複雑(河北新報)

 宮城、岩手、福島3県で、東日本大震災による行方不明者数は約4100人に上る。発生から半年を経て、苦渋の思いで死亡届を提出する家族が増える一方、「帰り」を待ち続ける姿もある。心の底にやり場のない悲しみと喪失感が沈殿する。

  「あの日から何度も何度も捜し歩いた。お父さんのおかげでダイエットができたわね」
宮城県石巻市雄勝町。がれきが散乱する自宅跡にたたずみ、高橋千賀子さん(60)が、疲れた表情に無理に笑みを浮かべる。
夫伝(ゆずる)さん(64)は高台の自宅で津波にのまれた。「ここにいれば大丈夫」。伝さんはそう言っていた。千賀子さんが車を山の上に移動している間に、想像を超える津波が家を襲った。
 千賀子さんは連日、足を棒にして伝さんを捜した。遺体安置所にも繰り返し通ったが、見つからなかった。
死亡届は出していない。葬儀も行っていない。あり得ないとは思いつつも、「どこかで生きているかもしれない」という期待を捨てきれない。千賀子さんは「1年ぐらいはこのまま待っていてあげたい」と言う。
宮城県女川町の会社員末永博さん(49)は8月、津波で行方不明になった妻(47)の死亡届を提出した。14日に遺体で見つかった次男(11)をはじめ犠牲になった家族、親族の合同葬儀を行う。
行方不明のままの葬儀には抵抗があるが、末永さんは「いつまでも悲しんでいられない。気持ちを整理するためにもやろうと決めた」と言う。
 先日、次男と妻の夢を見た。夢の中で自分に抱き付いてきた次男の体は温かかった。
     「いつもそばにいるから。そう励まされた気がして…」
2011年09月11日日曜日
人それぞれで、区切りと思える日は違うと思いますが、時間によって区切りと思ったり、何かのきっかけによって区切りと思えたり・・・・

震災から半年、 色んな思いが詰まった日となったのではないかと思います。

黙祷・・・

東日本大震災の手記(塩釜)

本サイト
hand in hand

において、宮城県塩釜市での手記をご紹介させていただきました

東日本大震災の手記

塩釜で被災者支援として活動している「ままのて」で
震災から学んだ事伝えたい事」 としてアンケートをお願いしているのですが
そこで回答いただいた中からのご紹介です

HPに載せていただくことを承諾していただきありがとうございます



近隣に比べ被害が少なかった塩釜市でも
8月29日 現在で 
死者47名 (男性26名 女性21名)
市内で発見された方は21名 (市民の方17名、市外の方2名、身元不明の方2名)
となっています

2011年8月28日日曜日

ぽっかぽかから お父さんを亡くした時の話

私の好きな本に「ぽっかぽか」があります

単行本⑤さようならから
田所麻美がお父さんを亡くした時の話です

私が悲しいのは生きている時に
「ありがとうっていえなかったこと」
という話がありました

いつも元気な麻美が涙を流したシーンは
何度見ても泣いてしまいます
いつ起こるかわからない突然の別れの為に
普段から「ありがとう」と面と向かって言えないものです

残されたものが幸せに生きていれば
逝った者は安心なんだ

という慶彦の友達中村の言葉も残ります

無理して笑顔になる事はないと思います
でもいつかは幸せになれる日が来ると祈っています

ぽっかぽかにもあったように
きっと今まで過ごした日々がそのまま「ありがとう」なんでしょうね

ありがとう・・
ありがとう・・・
ありがとう!!!

さようなら・・・・おとうさんのこと忘れない

そう、忘れないでいる事が一番の供養だと思います
記憶している事が、生きていたという事実


最後にお葬式での慶彦と麻美の会話から (一部抜粋)

慶彦  お義父そっくりだ・・・・

似てるな・・
子供たちだよどことなく似てるだろ

麻美  血筋の見本市!

慶彦  皆の中にお義父さんがいるんだな

麻美  ・・・そうね そう考えると
     少し悲しみが減るわね

2011年8月25日木曜日

震災でのPTSD お役立ち情報

「PTSD」ってご存知ですか

「PTSD」とは

TSDは、とても怖い思いをした記憶がこころの傷となり、 そのことが何度も思い出されて、恐怖を感じ続ける病気です
このページを訪れたあなたは、過去にとても怖い思いをした経験があるのではないでしょうか。PTSDとは、命の危険を感じたり、自分 ではどうしようもない圧倒的な強い力に支配されたりといった、強い恐怖感を伴う経験をした人に起きやすい症状です。その怖かった経験の記憶がこころの傷 (トラウマ)として残り、さまざまな症状を引き起こしてしまうのです。

 みんなのメンタルヘルス総合サイト  より引用



 で確認する事ができます

相談など色々な所で実施しています

 日本臨床心理士会でも相談行っています
東日本大震災心の相談電話 0120−719−789
(従来の 03−3813−9960 もご利用いただけます。)
実施期間 7月1日〜未定
実施曜日 月、火、木、金 (水、土、日はお休みです)
実施時間 夜7時〜9時  



お盆を迎えて

今年のお盆は沢山の思いが詰まったものになりましたね。
仮設住宅で過ごした方や避難先で過ごされた方・・・
迷うわないようにと迎え火に祈りを込められたと思います

こういった一つ一つの行事を重ねる事はとても必要な事だと思います
雑事に追われてしまうこともありますが
自分の気持ちと向き合う機会にもなります
何より、本当に見守りに来てくれているのだと思います

沢山沢山悔やむ事もあると思います
突然の別れほど辛いものはありません
こうしていれば・・・ああしていれば・・・・・

私も震災とは関係ないのですが、お腹の中で我が子を失ったとき
日々の行動を責めました

きっとその段階が一番辛い時のように思います

震災は突然の事で誰も責める事は出来ません
きっと、逝ってしまった方も分かってくれると思います


「どんな母親でも、子供にとっては一番お母さんが大好き 」
という子供の母親への無償の愛を聞きました
かなり気持ちが救われました
「ぼくのために泣かないで・・・」
そんな声がするようで、少しづつ前向きに考えられるようになりました
 8年前の話です

今はお盆が大好きです
わが子に会える行事の一つとなっています

今回の震災の方はまだまだそんな気持ちになれないと思いますが
今回のお盆では沢山の愛する人達の再会を果たした事でしょうね

2011年8月17日水曜日

周囲にできる事・・・

震災で家族や友人、を失った方がいます。
どう、接していいのか分からないのが現状で、傷つく言葉をかけるより触れない方がいいと思ってしまいます。それはそうなのでしょうが、どうなのでしょう・・・・・。相手にとって支えになれる「見守る」という事とはどういったことなのでしょう。

知らないうちに「無関心・忘れてしまう」事になってしまい、寄り添う気持ちが遠のいてしまい、遺族の方や震災で被害にあった方の悲しみは、遺族の方だけのものになってしまうのではと心配しています。

HPやブログでも紹介した藤本さんとメールのやり取りをさせていただいておりますが、遺族の方へ「付かず離れずの関係 」をお願いしますとの言葉がありました。

難しい事ですが、その通りだと思います。

大切な方を亡くされた方の気持ちに寄り添うために何が出来るか考えて行動を始めてみましたが、活動を始めると方向性がぶれる事がありますが、自分の為ではなく、相手の気持ちにを一番に、遺族の方の悲しみが少しでも癒される事だけを考えて行きたいと思います。これは肝に銘じたいと思います。

もし遺族の方がいらっしゃって、こうしたサポートが欲しいとか、嬉しかった声かけ、嫌だった言葉などありましたら、コメントを頂ければ参考になります
よろしくお願いいたします


2011年8月11日木曜日

形見があるという事

私の話になってしまうのですが、流産を経験した際に、19週になるものの片身は残らないといわれました。幸い母子手帳を交付されていたので、なんとか形見になるものは残りましたが、記憶だけではどんどん失われるものがあるので、体験談という形になるけど、形に残す事が供養と思っていました。
私にとってはそれがグリーフワークにつながっていたのでしょうね。体験談を書く事で、自分自身の思いを振り返ってみたり、気持ちに正直に向き合う時間が取れたりと、有効に働きました。

今回の震災は津波や場所によっては火災など形見も残らない遺族の方がいらっしゃったのではないかと思います。
形見ひとつあるだけで随分違ってきます。心の拠り所となります。頼るものがあります。
すべてを失ってしまった方へ、心の中の記憶が薄れぬよう、体験談を書かれてはと思います。

私には、日々の暮らしをしながらどう向き合われているか、計り知れない苦労や悲しみがあると思います。
日々の暮らしで笑顔にならなければいけない場面があると思います。涙を我慢しなければいけない場面があると思います。人の目が気になる場面があると思います。
辛さ、悲しさ、頑張る大変さもきっと、必ず受け入れてくれる、共感してくれる場所があると思います。一人で苦しまないで・・・そう願うばかりです。















ピックアップ 東日本大震災 母の分まで生きる…形見の指輪と修了式

東日本大震災で被害に遭った方の記事をピックアップします

母の分まで生きる…形見の指輪と修了式

津波で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市渡波(わたのは)町の市立渡波小(児童数453人)で24日、10年度の修了式が行われた。安否不明だった母の死 が22日に分かったばかりの6年、中野美咲さん(12)は、母の形見となった指輪と紺色のジャケットを身に着けて出席した。離婚で父の顔を知らずに育った だけに大切な「ママ」だった。「ママに言われたとおり、元気にしようと思う」。再会した友達を前に涙をこらえた。【比嘉洋】

「どこ行く の? どこ行くの?」。22日昼、避難先の同小から市内の遺体安置所「旧青果花き地方卸売市場」に向かう車内で、美咲さんは祖父邦夫さん(63)、祖母美 恵子さん(64)に不安そうに尋ねた。2人はうつむいたままだった。美咲さんの問いかけに答えるように邦夫さんの携帯電話が鳴った。邦夫さんは相手に伝え た。「んだ。これから娘の遺体さ確認しに行く」

「うそだあ!」。美咲さんの声が震えた。どこかで生きていると信じていた。だが、安置所脇に掲示されたリストに母喜子(よしこ)さん(33)の名前があった。「何で。ママがいる……」。両こぶしで美恵子さんの胸をたたいた。

喜子さんの遺体は検視が終わっておらず、顔には泥がついたまま。「怖かったろう。寒かったろう」。美咲さんは母に語りかけ、突っ伏して泣いた。その間も安置所には新しく見つかった遺体が次々と運び込まれた。

美咲さんは祖父母と喜子さんと4人暮らし。あの日、喜子さんは市中心部で買い物中に地震に遭い、美恵子さんに電話を入れた後、弟夫妻と車で渡波町に向かう途中、津波に襲われた。美咲さんのいた渡波小まで1・5キロの場所だった。

「ママは忙しくしていたけど、いつも優しかった」。ショッピングセンターに勤める喜子さんは帰宅が深夜になることもあったが、美咲さんは毎晩、一緒に風呂 に入る時間を楽しみにしていた。いつも「みっちゃんは大切な子」と言ってくれた。化粧品を勝手に使い、しかられたりしたが、自宅ではいつも喜子さんにしが みついた。

修了式。美咲さんの右手薬指の指輪が光っていた。再会した友達と笑顔でじゃれあったが、担任の松本三重子教諭の姿を見つけると、胸に顔をうめて涙を流した。「お母さんの分まで強く生きるんだよ」と言われ、無言でうなずいた。

自宅は全壊し、避難生活の見通しも立たない。校庭には車や民家の残骸が散在している。卒業式の日程は未定。入学予定の渡波中も避難所になっていて入学式の予定も分からない。でも、美咲さんには目標がある。

高校を卒業したら、いつか母が勤めていたショッピングセンターで働きたい--。

 


 




2011年8月9日火曜日

グリーフワーク

こんなページを見つけました

グリーフワーク

表現文化社さんのHPから



グリーフワークとは「配偶者や子供といった家族など身近な存在の死別を体験し、深い悲しみに陥った人が立ち直るまでに努力して行う心の作業」の事を言うらしい
一部引用すると
配偶者を喪ったある男性は、葬儀は何とか無事に済ませたが、何もする気が起きず、呆然とした日々を過ごしていた。アルバムの整理をしていたことがきっか けだった。始めはアルバムの写真が散失しないように説明をつけようとした。そのうち、短い説明だけでは不充分となり、いつの間にか妻の一代記になってい た。
妻との最初の出会いから始まり、共に歩んだ生涯を詳しく記録した。それだけでなく、彼の知らなかった子供の頃のこと、友人たちとのつきあい、活動を調査し、さまざまな人に出会って取材して記録した。その仕事は二年以上かかった。
思い出すたびに涙がこみ上げ、筆が止まったことも再三であった。昔のことでもっとあの時彼女にしてやればよかったのにと悔いたり、古い昔の自分の軽口を 思い出して取り消したいと願ったり、作業は苦しみを自らに向けるものとなった。彼女の部屋は生きていた時のままにされていた。夜に寝ようとすると彼女の不 在が胸に突き刺される想いがして、夜は起きていて、昼間にソファーの上でまどろんだこともあった。それは、わざわざ悲しみを深くするための作業と思われる くらいであった。
親しい友人は彼の辛い作業を見ていて、思わず中止をし、早く妻のことを忘れるようアドバイスしたほうがいいのではないかと悩んだ。だが、死んだ妻のことだけに目を奪われた彼の姿は全てを拒絶するものだったので、友人は黙って見守らざるを得なかったという。
作業が半ばを過ぎたあたりになってから、彼は少しずつ元気になっていった。喪失感を上回って、彼女との生が、いかに自分を豊かにしてくれたことかを実感し始めたからだ。彼女の友人たちから聞いた楽しい思い出話は彼の心を慰め、癒してくれた。
彼がようやく作業を終えた時、彼は見事に立ち直っていた。彼女の生が意味深いものであったことを、つくづくと、心の襞に届くまでに実感できていた。自分 がいかに助けられたかも実感できていた。それだけではない。彼は以前はどちらかというと自分中心の勝手な人間であったが、他人を思いやる優しい感性の持ち 主に変身していた。彼を知る人は彼の目がやわらかくなり、彼が変わったと話し合ったほどである。
これがグリーフワークである。
どんな形がグリーフワークになるかは個人個人違ってくると思います。グリーフワークをしようと行動を始めたのではなく、「悲しむ作業」として行った結果であったと書かれていました。

キューブラー・ロス、野田正彰、デーケン氏らの描いたことによると、その悲嘆は 1衝撃、 2否認、 3パニックや怒り、 4抑鬱と精神的混乱、 5死別の受容──というプロセス(このとおりとは限らないという前提で)をもつ。
死は死ぬ者だけにくるのではない。死は愛する者にもくるのだ。
 震災から4ヶ月、一番辛い時期にさしかかっているのかもしれません。
新盆、無事に魂が愛する元に帰ってこれますように・・・


2011年8月8日月曜日

神戸新聞から学ぶ

神戸新聞では阪神・淡路大震災の特集を組んでいました
その中から少しづつピックアップをしていきたいと思います



短歌に誓う一歩 震災で親と死別の定時制高生
神戸新聞

阪神・淡路大震災で両親を失い、周りに背を向けるように生きてきた神戸市兵庫区の西山由樹(よしき)さん(25)が、一念発起して通い始めた夜間定時制高校を今春、卒業する。4年間、仕事と勉強を両立しながら、作文や短歌に心境をつづる中で自分と向き合った。

震災で 止まった時間 今日からは 変えて見せるぞ 名に恥じぬよう
亡くなった 父母への恨み 何処へやら 今では二人の 分まで生きる
人間の 死ぬより辛い 生きること 大きな根を張り 負けずに生きる


短歌を読むだけでどれだけの苦労や思いをしょってきたのかが伺えます
生きる事は本当に辛い、けど残された命、与えられた命がいま「目標は人並みに生きること」と笑えるようにまでなった。
東北大震災で被災した子供たちも、将来笑って目標が言えるよう
周りの大人が見守って支えてあげていけたらと思う

子供を亡くすという事

別れというのは突然すぎればすぎるほど現実を受け入れられないと思います
私は震災ではありません
流産という形で子供との別れがありました

現実を受け入れる前の段階で
自分を責め、周りを責め、現実や周囲との隔たりを感じ、ねたみ・・・・
それからようやく涙を流す事が出来るようになりました
もちろん皆の前では、本当の気持ちを心の奥にしまい
自分の気持ちが相手に伝わらないように笑顔ですごしていました


そんな、私の心はすぐに悲鳴をあげました

ありのままの気持ちを表現していい
ねたむ気持ちもあたり前のこと
ねたむ気持ちをもつ嫌な自分も認めてあげよう
無理しなくていい
私は同じ境遇のかたからそれを教えてもらいました
ネットではそれを表現できる環境があると思います

自分が生きているのが嫌になるくらい
自分が死んだ方がましだったのに・・・
子供の事を思うと楽しみも・悲しみも・笑う事すらまだまだこれからだったのに・・・
代われるものならば代わってあげたかった・・・
そんな思いが交錯しました


でも、子供は無条件に親が大好きで親の笑顔が大好きな存在と聞きます
今は無理でも、笑顔が一番の子供にとっての願いなのかもしれません
沢山、泣いて泣いて泣いて・・・その先に笑顔が戻ってきますように

亡くなった方々の名簿

亡くなった方々の名簿(全体集計)   47NEWSより

改めて知人の名前を確認すると涙がこみ上げてきます
また、亡くなられて方の子供さんの年齢を見ると苦しくてしかたありません

まだ涙すら流す事が出来ない方もいるかと思います
受け入れる事は大変な事と思います
遺族の方の心が少しでも軽くなりますように・・・・


塩釜市では8月11日(木)17:30~マリンゲート塩釜で
東日本大震災慰霊・復興灯籠流し
慰霊祭が行われます
申し込みが必要
灯篭 1個1000円
慰霊灯篭 戒名または個人名を記載 500個程度
問合せ:丸文松島汽船株式会社 TEL:022-365-3611

2011年8月7日日曜日

こころもメンテしよう サイト紹介

厚生労働省から
10代・20代のメンタルサポートサイト

こころもメンテしよう

発信しています

ちょっと紹介がてら引用↓

ストレス状態のサイン
こころ
* 不安や緊張が高まって、イライラしたり怒りっぽくなる
* ちょっとしたことで驚いたり、急に泣き出したりする
* 気分が落ち込んで、やる気がなくなる
* 人付き合いが面倒になって避けるようになる

カラダ

* 肩こりや頭痛、腹痛、腰痛などの痛みが出てくる
* 寝つきが悪くなったり、夜中や朝方に目が覚める
* 食欲がなくなって食べられなくなったり、逆に食べすぎてしまう
* 下痢したり、便秘しやすくなる
* めまいや耳鳴りがする


ストレスは早めの対処がかんじん

対処法がのっています

自分ではなかなか気付かないときがあります
体の変調は心からくるものなのか原因は分かりにくいと思いますが
悩んでいる事、心にたまっている事あれば相談窓口があります
相談窓口でも敷居が高い場合、気軽に投げ込みコメントしてみてください
王様の耳はロバの耳・・・・・
少しは気持ちが楽になるかも

手記・体験談募集

震災の手記・体験談の募集を行います
投稿のあった大切な手記は
hand in hand ~手を携えて~
こちらサイトにてまとめていきたいと思います
投稿いただける方は下記要領に従ってお願いいたします



【基本】
仮名(ニックネーム)
メールアドレス(非公開:大切な手記を預かるにあたっての連絡のみに使用します)

東日本大震災の手記の投稿

《投稿こちら》

(投稿基準や限定地域ありません)
・当時の状況、遺族との関係をお書き下さい
・自分の現在の思いを綴ってください
(何年後か追加で書き足す事可です)

その他震災の手記の投稿

《投稿こちら》

・被災にあわれた震災の名前をお書き下さい
・当時の様子・気持ち
・現在の気持ち
・東北大震災で被災した方へメッセージあれば

阪神大震災など16年経った今も心のケアが必要とされていると聞きます。
その他震災の投稿される方も、まだまだ前向きになれない気持ちなどあるかもしれません。
その他震災の方も心の整理の場にご活用していただければと思います。
応援メッセージだけを募集するつもりはありませんので、現在のお気持ちをお書き下さい。
お互いが手を携える場になればと思います。

*管理人が投稿内容を確認した上で、一部手直しが必要と思われたところは(漢字・おくり仮名などの基本的な間違い)手直しさせていただきます。ご了承下さい。
不都合あればいつでも編集・削除できますのでご連絡下さい。

コメントに返信でも構いません

hand in hand~手を携えて~ 紹介

hand in hand ~手を携えて~
↑サイトこちら


管理人   
すずりん(宮城県塩竈市)
2011.3.11東日本大震災を経験。 
私は遺族ではないが、周りに大切な方を失くされた方がいて
力になりたいと思っい、ネットで体験談を探していた。

その際、阪神大震災で奥さんを失くされた方の手記に出会う。
災害でご家族を亡くされた方々の手記」(東北地方太平洋沖地震と心のケア)
震災当時、藤本さんの経験談が本当に力になりました。
その出会いから経験者の体験談が一番の支えになるのではと思い、
このサイトを立ち上げました。

阪神大震災など16年経った今でも心のケアが必要とされていると聞きます。
色々な方の手記を通して、共感したり、力になったり、
同じ境遇の方同士が、そっと手を携える、
そんな環境作りのお手伝いが出来ればと思います。

遺族の方に役に立つ情報を集めながら、
ゆっくりですが情報発信していきたいと思います。