2011年8月9日火曜日

グリーフワーク

こんなページを見つけました

グリーフワーク

表現文化社さんのHPから



グリーフワークとは「配偶者や子供といった家族など身近な存在の死別を体験し、深い悲しみに陥った人が立ち直るまでに努力して行う心の作業」の事を言うらしい
一部引用すると
配偶者を喪ったある男性は、葬儀は何とか無事に済ませたが、何もする気が起きず、呆然とした日々を過ごしていた。アルバムの整理をしていたことがきっか けだった。始めはアルバムの写真が散失しないように説明をつけようとした。そのうち、短い説明だけでは不充分となり、いつの間にか妻の一代記になってい た。
妻との最初の出会いから始まり、共に歩んだ生涯を詳しく記録した。それだけでなく、彼の知らなかった子供の頃のこと、友人たちとのつきあい、活動を調査し、さまざまな人に出会って取材して記録した。その仕事は二年以上かかった。
思い出すたびに涙がこみ上げ、筆が止まったことも再三であった。昔のことでもっとあの時彼女にしてやればよかったのにと悔いたり、古い昔の自分の軽口を 思い出して取り消したいと願ったり、作業は苦しみを自らに向けるものとなった。彼女の部屋は生きていた時のままにされていた。夜に寝ようとすると彼女の不 在が胸に突き刺される想いがして、夜は起きていて、昼間にソファーの上でまどろんだこともあった。それは、わざわざ悲しみを深くするための作業と思われる くらいであった。
親しい友人は彼の辛い作業を見ていて、思わず中止をし、早く妻のことを忘れるようアドバイスしたほうがいいのではないかと悩んだ。だが、死んだ妻のことだけに目を奪われた彼の姿は全てを拒絶するものだったので、友人は黙って見守らざるを得なかったという。
作業が半ばを過ぎたあたりになってから、彼は少しずつ元気になっていった。喪失感を上回って、彼女との生が、いかに自分を豊かにしてくれたことかを実感し始めたからだ。彼女の友人たちから聞いた楽しい思い出話は彼の心を慰め、癒してくれた。
彼がようやく作業を終えた時、彼は見事に立ち直っていた。彼女の生が意味深いものであったことを、つくづくと、心の襞に届くまでに実感できていた。自分 がいかに助けられたかも実感できていた。それだけではない。彼は以前はどちらかというと自分中心の勝手な人間であったが、他人を思いやる優しい感性の持ち 主に変身していた。彼を知る人は彼の目がやわらかくなり、彼が変わったと話し合ったほどである。
これがグリーフワークである。
どんな形がグリーフワークになるかは個人個人違ってくると思います。グリーフワークをしようと行動を始めたのではなく、「悲しむ作業」として行った結果であったと書かれていました。

キューブラー・ロス、野田正彰、デーケン氏らの描いたことによると、その悲嘆は 1衝撃、 2否認、 3パニックや怒り、 4抑鬱と精神的混乱、 5死別の受容──というプロセス(このとおりとは限らないという前提で)をもつ。
死は死ぬ者だけにくるのではない。死は愛する者にもくるのだ。
 震災から4ヶ月、一番辛い時期にさしかかっているのかもしれません。
新盆、無事に魂が愛する元に帰ってこれますように・・・


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