2012年3月3日土曜日

阪神大震災から~ご紹介~

「阪神大震災を記録しつづける会」さんからのおつなぎで
小西さんというお子さんを亡くされた方との交流をさせていただくことになりました。
当時の思いは阪神大震災を記録しつづける会HPで見ることが出来ます
「天国へ行ったのんちゃん」
2人の娘さん(当時5歳、1歳)の長女(5歳)を亡くされました。


メールでメッセージを頂いているのでご紹介いたします

すずりん:
小西さんが、当時お話をしたり、思いをぶつけられた先はありましたか?
手記を書いたいきさつなどを聞かせてもらいたいのですが。
私は流産の経験があるのですが、当日夫でさえ自分を理解してくれないと思ったとたんに傷つくのが怖く、自己防衛で気持ちをシャットアウトしました。自分の思いを吐き出す場所は同じ方の集まるインターネットでした
  
小西さん:
ご主人にわかってもらえず、悲しみに耐えられず気持ちをシャットアウトした気持ち、よく解ります。
私も子どもを亡くすという同じ経験をしても、主人とは悲しみも、じる事も、乗り越え方も違うと思いました。すずりんさんは、ネットでも自分の気持ちを話せる場があって良かったですね。


私は芦屋川教会の牧師さん(息子さんを亡くされました)が、
震災で子どもをなくした親の会」を開いてくださり、参加させてもらいました。
私は人前で泣く事が出来なかったので、そこでは娘の話しをし、
 今の辛い気持ちをはきだす事が出来ました。
変な話ですが、笑う事も出来ました。
当時、笑う事も泣く事も出来なかったように思います。
そして、同じようにお子さんを亡くされた方と、悲しみを共有する事で、
気持ちを落ち着つける事が出来たのです。
私は、あの会がなければ今の私はなかったように思います。

手記については、当時娘の名前が、住民票からも、保険証からもなくなっていく事に、
 悲しみというより恐怖のようなものを感じました。
 娘がこの世にいた事さえ消えてしまう気がして、娘がいた事実を残したかった… 
泣きながら何日もかかって書いた事を覚えています。

手記を書く事も気持ちを整理する事の助けになったように思います
辛い事、悲しい事は思い出したくないけれど、その事と向き合う事が出来た時に
1歩が踏み出せるような気がします。

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