2012年5月23日水曜日

グリーフケアを考える

 リンクを張らせて頂いている
「雅人のとうちゃん」さんのブログで紹介されていた

ケアできない「悲しみ」もある
 「グリーフケアは要らない」という声が自死遺族にはある 
《上智大学・岡知史/全国自死遺族連絡会/田中幸子/明英彦》
『藍の会』分かち合いのつどいHP内 「★藍色の雑記帳」
http://ainokaisendai.web.fc2.com/zakki.html

私はブログでもHPでもグリーフケアで紹介される
「悲嘆回復のプロセス論」を紹介しました。
過去に幸せな人を恨んでみたり、そんな感情を抱く自分を嫌いになったり
自己嫌悪に陥り、より自分が傷ついた事があったからです。

この 「悲嘆回復のプロセス論」を初めて読んだとき
愛する人を失った方が感じる気持ちを読んだとき
誰もが感じる思いなんだ、自分が感じている嫌な自分も認めていいんだ
と安心した記憶があります。
もし、自己嫌悪に陥っている方がいれば、そんな気持ちも悲しみを前には当たり前で
認めてあげていい自分なんだという事をお伝えしたく、ご紹介いたしました。

そして
藍色の雑記帳さんの ケアできない「悲しみ」もある
を読んだときに、論法ではなく遺族のそのものの想いで物事が書かれており
素直に心に溶け込みました。

 悲しみに対し、どの考えが処方箋なのかは私は分かりませんが、
もし、ブログで紹介した「悲嘆回復のプロセス論」に関して
共感できない思いや、嫌な思いをされた方がいたら
上記のケアできない「悲しみ」もある
共感する部分があるのかもしれないと思い、ご紹介させていただきました。

育児書や医学書どうりに事が進まないと同じように
論法というのは、参考程度にするのが良さそうと思うのは、私の性格かな・・・。

生きてきた環境・大切な方を失った状況・性格などものの考え方ひとつとっても
皆違います。
皆さんがそれぞれで、心を開ける場所が見つかりますように願を込めて。




2 件のコメント:

雅人のとうちゃん さんのコメント...

ご紹介、ありがとうございます。

私たち夫婦は、グリーフケアに最初に行き、同じような悲しみの人達がいたのを身近に感じれて大変よかったです。
ですが、それでも何かが違うと思っていました。
同じような悲しみは、同じではなくて、人それぞれ違うことがわかりました。
つむぎの会は、子どもを亡くした悲しみをそれぞれ別々に持っていて、それぞれが悲しむ、一部共感しあう、しあえることによって、溜まった気持ちを吐き出して楽になるような会でした。
震災で子どもを亡くされた方だけでなく、何年も何十年も前に亡くされた方も、傷は癒えていなことを知りました。

なので、【このケアできない「悲しみ」もある】には、共感した部分が多かったです。

すずりん さんのコメント...

>雅人のとうちゃんさん

グリーフケアの良さもありながら、それが全てではないという事ですよね。沢山の選択肢の中から、自分に共感できる場所を見つけられたら・・・と願うばかりです。
雅人のとうちゃんさんのブログから、いつも沢山の思いを知る事が出来ます。
きっとつながっていく想いだと思いますので、またご紹介させてくださいね。