2013年3月7日木曜日

3月に入りました...

暖かい陽気が続いていますが
3月に入りました....
三回忌の法要で忙しさもおありでしょうが、3.11その日を迎えるまでの月日というものを...
心の内を考えると....胸が苦しくなります。

阪神淡路大震災の方の1.17を迎えるまでのブログを読ませていただきましたが
沢山の想いが詰まっており、整理できるはずもない想いが伝わってきて
きっと、東日本大震災のご遺族の方も苦しんでいるのかなと...思うばかりです。

3.11を一人で迎えられる方、追悼式にご出席されるかた、
どのように過ごされるのでしょうか。

いつも同じ事ばかりですが、心の内を話す場所となればとも思っていますので
お気軽に掲示板等ご利用くださいね。
大切な方を亡くされた周りにいる方にとっても、それぞれの思いを知る事により
互いに良い距離感というものが生まれるのではないかと思っております。



2013年1月18日金曜日

阪神・淡路大震災を偲ぶ

2013年1月17日.....

恥ずかしながら、3.11の震災を経験する前は
『そうなんだ...』とニュースを読んで気付くくらいでした。

それが3.11の震災から、神戸の方々、阪神・淡路大震災を経験なさった方々の
多くの暖かい気遣い、心遣いに助けられ勇気付けられました。
そしてはじめて、震災に会われた方の気持ちにふれることが出来
私なりに考えるきっかけを与えて下さいました。

まだ、若輩者の私(人生において)ですが、
そんな私でも生きていると色々な事があるのだと感じると同時に
その度ごとに色々な繋がりが出来てくるのだと改めて思います。
沢山の方に勇気をもらって前に進んでいるのだと感謝しています。

2011年3.11も今年で、2年目。
三周忌の法要を決める時期になりました。
『震災が起こったという事は頭で理解するようにはなった。
 でも、気持ちが全然ついていけない・・・・・』
そんな、声を聞きました。

18年という年月も長いか、短いか私には計り知れません。
年月という物差しだけでは計れない、想いの深さ。
ただただ、命を亡くされた方のご冥福を祈ると共に
残されたご家族、それに関係する方々を思い、手を合わせました。






2013年1月11日金曜日

東日本大震災から1年10ヶ月



ご遺族の方にとっては、震災以来のお正月を迎えられた方もいらっしゃると思います。
どういったお正月を迎えたのだろうかと思っていました。


ご遺族を亡くされた方から、2年越しに年賀状が届きました。

気持ちはさておき、こうした作業に心とのギャップを抱えているのだろうかと思ったり
それは考えすぎかもしれないと思ったり.......




今日で1年10ヶ月

節目の書き込みになりますが
そっと手を合わせました
そして、沢山の思いを抱えて向き合っている方がいるということ
改めて思った日でした。

阪神大震災の1.17も近づいてきています。
メールのやり取りの方から

18年前の阪神大震災のことを、「この前の、阪神大震災では・・・・・・」って話していました。18年前のことを「この前」って.....この表現は、やはり事象の大きさを表しているのだと思います。もちろん、僕も同じです。そちらも、もうすぐ2年が来ようとしていますが、2年ぐらいじゃ、昨日のような感じかもしれませんね」
と。
もう当時のことを思い出すのに、忘れている部分がある私ですが
ご遺族の方は震災から今も、現在進行中で大切な方を亡くした大きな存在と向き合っている途中なんだと改めて感じました。


2012年12月17日月曜日

許すということ

許すということを知ったら
重かったかなしみが
少し軽くなった

もっと
もっと許そう
私だって数え切れないほど
たくさん
許されているんだもの

~星野富弘さんの詩より~


またまた好きな詩の紹介です。

最近、私がこうしてブログに向き合ってる時間が多いのは...
きっと阪神大震災の方が1.17を迎える日が近づいているからだと思います。

沢山の思いが蘇り、沢山の想いに共感し、色々な事を感じています。
悲しみは、怒りにも直結する時があります。

仕方のないことですが、怒りを持つと気持ちが楽な時もあるし、
怒りが生きる支えになる事もあります。

でも・・・凄く疲れるのが本当のところだと思います。

私も怒りから、仕方のないことなのではないだろうか.....
と思えるようになったとき、

気持ちが楽になりました。


そして純粋に悲しみと向き合えるようになり、優しさに変わっていったように思えます。


そんな事を思い出させてくれる詩でした。

私の好きな作家に三浦綾子さんがいます。
富弘さんといい、綾子さんも病状に伏せてからキリストの洗礼を受けています。

私はキリスト教ではありませんが、苦しい時、悲しみの淵にいるときに
言葉や教えというものにすがりたくなる気持ちは分る気がします。
お墓参りにいくときの、お寺の掲示板に張られている、
お坊さんの言葉にも毎回ハッとさせられていています。

悲しみや苦しみは、小さな事に気付ける心でもあるのだと思いました。

2012年12月16日日曜日

仕方のないことなのだけど・・・

傷つく言葉を言っていないだろうか?
表情はどうだろうか?
ご遺族の方と話す時、きっと私の心は伝わっていると思う。


昔の私もそうだったから。

相手の表情に敏感になっているので
遠慮をしている気持ちはすぐに気付いてしまう。

普段おちゃらかな私は、相手を困らせないようにと
「前向きに頑張っているのよ」という
「すごいね、私には真似できない・・・」
そんな、無理をする自分が苦しくて、心の扉を開けない私は、
なんでも話せるネットの世界で生きていた。

顔色を伺わなくて良い世界。
そして、同じ境遇の人がいる空間に安らぎを感じた。

悲しみを共有できないのは仕方のないことだと思っている。
でも、その時は苦しかった。
無事に産む事が出来なかった私にとって
「お産って、痛いんだって~」
と話す友人の悩みや不安が、幸せな悩みの思えて、
 にこやかに過ごさなければいけない空間から脱出したかった。

毎日を過ごしながら、同じような周りとの関係を保ちながら、
悲しみを抱えていく難しさを思い出していました。



2012年12月14日金曜日

心の支え

あなたたちへ
リンクを張らせて頂いているブログです
心の内を正直に綴る日記で、いつも読ませていただいております。

13日の日記がありました。
http://mecyasukiyanen.blog.fc2.com/blog-entry-279.html

色々な事が思い返されました。
自分の話ばかりですが、流産をした時、看護師さんが
「今は悲しいけど、お腹の中にいた幸せな時間もあったはず」

当時は悲しくて、悲しくてそんなこと考えられませんでした。
でも、一年が過ぎ..少しずつ現実を受け入れていくようになった頃
あの子の存在は私にとって幸せを運んでくれた。
短い時間だったけど、大切にしようと、忘れそうな幸せな時間。
もっと、お腹の中に声を掛ければよかったと後悔したあの時間も
大切な時間として胸に刻んでいます。

そんな思いを思い出させてくれたまっぴいさんの日記でした。

当時は、悲しみの共感を求めていたような気がします。
思いっきり泣いては、出口の見えない悲しみの中でも
泣く時間が心のバランスを保つ方法でした。



あの子との幸せな時間。
そう思えるまでには時間がかかると思いますが
私にとっては一番の支えになっている思いかもしれないと
思い出していました。