いつも読ませていただいている
雅人ママの小さくて大きい日常さんの10/9の日記を読んで
引っかかっていたのもがすっきりしました。
いつかは、ブログで知り合った方々や活動で知り合った方々と顔合わせをしてみたい...
直接お話をしてみたいと考えていました。
その中で、互いが会ってよかったと思える時間を過ごしたいと思いました。
でもでも、万が一参加された方が嫌な思いをしてしまったら、
悲しい思いをした上に、傷つくようなことがあったら・・・
そう思うと、なかなか現実的に考えられませんでした。
でも、耳に入ってくる間接的な声ですが
地元を離れて、新しい場所に来たものの、遺族と見られない気楽さはあるけど
皆が幸せそうに思えて、「自分だけがどうして・・・」と思ってしまう。
など、聞くと・・せめて場所のセッティングだけでも、遺族の会があるということを教えたり
自分の出来る事はやっておきたいなと考えたりしていました。
いつも雅人ママさんが毎回参加されたいという「つむぎの会」さんは
気持ちを吐き出すではなく「分かち合う」という言葉を使っています。
雅人ママさんは上智大学の岡先生の講演内容を紹介していました
「グリーフケアに限らず、心の治療のグループではね、グループのセッションが終わったら、それで解散、 それで、お互いに会わないようにしているというところが多いです。 なぜか。
それは、そのグループは、基本的には、心の膿のような汚れたものを、吐き出して捨てるという場になっているからですよ。
いっしょに、ゲロゲロ吐いて、すっきりした、と。
だったら、もう、そのゲロを吐いていたころなんて思い出したくないし、自分の吐いたゲロを見ていた人にも、会いたいとは思わないと思うのですね。
だから、一日のグループが終わったら、それで解散。次の集まりまでに互いに連絡をとる、ということもない、というのは、 グループは、心の膿を吐いて捨てる場にすぎなんだから、連絡をとる必要もないわけですよ。」
なるほどと思いました。
勿論、時には吐き出す事は必要だと思います。吐き出す場所がトイレのように
個人的な場所だったり、相手が心の通う知り合いだったり・・・
場所と相手を間違えてしまうと「吐き出す」事は相手を不愉快にしてしまう。
その上で、雅人ママさんはブログでこんな事を書いていました。
『分かち合うというのは、こころのなかの大事なものを分かち合うんですよ。 悲しみは、愛しさであり、愛だからこそ、分かち合えるのですよ』
hand in hand も
「思わず吐き出してしまったもの」を上手に処理しながら
分かち合う、共感できる、共に歩むサイトでありたいと思いました。
といいながら、ネット上ではつい吐き出してしまったら、私がこっそりタオルに包んで処理しますので
お気軽にご参加くださいね。
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