2012年6月27日水曜日

そうなんだ・・。

なかなかブログが書けずにいました。
遺族の方の思いというものは、被害のない私はどう考えても理解できないものだろうし
計り知れない悲しみと、計り知れない想いがあり、
私なんかが何が出来るのだろうかと考えていました。
誰だって傷つきたくないし、傷つける側にまわりたくもない。
間違った思いやりなのかもしれないと思ったりもしながら
ブログを読み返していました。

でも、やっぱり何かしたい・・・何が出来るか向き合ってみたいと思う根底には
私なりの悲しみの期間があったからだと思う。
ブログつながりで、色々とお世話になっている雅人のとうちゃんさんの事が書かれた本

ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ

ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ
を読んで、考えさせられた。
最近、リンクを張らせていただいた「つむぎの会」さんの田中さんのブログを読んだ時も感じた。

私の中で、悲しみを整理し乗り越えたつもりでいたけど
乗り越えたのではなく「悲しみと共に共存している自分」に気付かされた。
実際、未だに当時の話をする事ができないし、振り返るのも涙なしでは出来ない作業で
日々の生活で思い出す機会がめっきり減ったというだけで、悲しみを乗り越えたわけではない。
悲しみを抱えた私が、今の自分。どんな事でも過去を背負って生きている。生きていくしかないんだという事。

こうした活動だって、生まれてこなかった子供達の分まで生きようと決めた
私の覚悟のあらわれで、ただジタバタしているだけなのかもしれない。

この本の著者2人が自問自答している箇所が、震災の当事者ではない自分自身に当てはまる思いで読ませていただきました。
新聞記者という立場でありながら自問自答の繰り返しで進んでいる様子に
なぜか安心感を感じました。みんな悩みながら向き合っているんだと。

勿論、本の感想はもっとありますが、今回は自分の事だけの感想ですみません。




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