2011年12月22日木曜日

手記を書き続けるということ

先日、縁を結んでいただき
阪神大震災を記録しつづける会
の事務局長さんとお会いする事ができました。

阪神・淡路大震災の記録を手記や体験談といった形で記録し続けている会です。
色々なお話をさせていただき、沢山学ぶ面、感じる事ができ、出張の合間に時間を取って会いに来て頂いた事務局長さんに感謝申し上げます。

私自身、悲しみを手記という形に表すことで

自分の見えなかった思い
受け入れられない悲しみと向き合うきっかけ

になればと思っていたのですが
果たして私だけの思いなのかと悩んでいました。
もちろん、一人でも共感し何かを感じていただければ嬉しい事なのですが、

悲しみの受け取り方は本当、一人ひとり違う部分なので
手記を書くということが全ての人の心の支えになるものではないと思っています。

しかし、今回のつながりの中で背中をポンと押された部分もあったので
メールのやり取りのなかでご紹介いただいた手記を、
この場でも紹介させていただきたいと思います。 

震災から10年間、
亡くなられた旦那さまのことを一年に一回綴られ、手記集に投稿された方もおります。
安藤衣子さんという方で、当会HPに手記が掲載されております。
ぜひご覧いただければ幸いです。
一年目の手記と、10年目の手記のHPアドレスを記させていただきます。

一年目
http://www.npo.co.jp/hanshin/1book/1-032.html
十年目
http://www.npo.co.jp/hanshin/10book/10-003.html
 上記の手記を読んで、色々な思いが巡りました。
私自身の事を振り返れば、最愛の子供を産む事が出来なかった悲しみは一生続くものと思っていました。「時間が解決する」というのは「忘れる事」でなんの解決にもならないと、逆に「忘れる事」が怖くてたまらなかった時期がありました。
知らないうちに、子供との記憶をメモ帳に書き綴っていました。
しかし、9年経った今はやっぱり時間と共に忘れていて、日々の暮らしの中でもたまに思い返す位です(幸せな事に、子供が生まれ新しい環境に身を置けるようになったからだとも思いますが )
しかし、手記があるからこそ読むことで、当時の思いにタイムワープ出来、すぐ記憶の中の子供たちに会いに行く事もできるし『忘れる事の恐怖』を免れている部分もあります。

やっぱり、手記を書くということは重要なんだ

と改めて思った出会いでした。
年の節目に手記を書いていただくといった形は凄くすばらしいと思いました。
私自身、この活動は大きくはなく出来る範囲での活動ですが
微力ながらお手伝いしていけたらと思っていました。

阪神大震災を記録しつづける会

さんでも、お子さんの亡くされた方が「この世から子供達が忘れ去られる事の怖さ」がり
せめて自分だけでも生きていた証を残したいという思いでいると聞きました。
皆さん同じ思いなんだと改めて思いました。


手記を本に・・・まではいかないまでも
ご自身の形見となるようなものとして残していける物作りはしたいと思いました。


そして、改めて手記というと悲しみの部分の要約になるような気がするので
日々の思いを込めた「日記」というような形がいいと感じたりもしていました。

もし、手記というと書きづらい部分もあるかもしれませんので
メモ帳に日々の思いを綴っていく事はお勧めしたい事だと思います。

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