2011年10月13日木曜日

グリーフワーク 悲嘆のプロセス

よく悲しみと向き合う心の過程で 
「悲嘆のプロセス」
として説明されている記事を見ます

すべてが当てはまりはしないものの
段階を見ると、自分がどの段階にいるのか
皆も同じ気持ちになっているんだと安心したり・・・
恨んだり・妬む気持ちは当たり前なんだと自分の気持ちに素直になれたり・・・
少しは参考になるのではと思いこちらでも紹介いたします

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ぱむの会レポートさんから一部抜粋

アルフォンス デーケン:12の段階 
デ-ケンは、この辛い12の段階を誰かが代わって行うことはできない、自分の中で時間をかけて消化するより仕方がないと力説している。

1精神的打撃と麻痺状態
頭の中が真っ白になる。心身のショックを少しでも和らげようとする本能的な働き(防衛機制)である。
「お葬式など、あまり覚えていませんし、夢中の出来事のようです。泣くこともできず、周りからしっかりしているとか、泣かないことを非難されたりします。」


2否認
感情が受け入れられないだけでなく、理性も相手の死という事実が認められない。帰ってくるような気がしたり、声を聞いたりする。
「あの人が死ぬわけがない」

3パニック
パニックを未然に防ぐことが、悲嘆教育の大切な目標の一つ

4怒りと不当惑
不当な苦しみを負わされたという激しい怒りが沸き起こり、何で私だけがこういう目にあわないといけないのだろうかという不当感が発生することもある。何故私にこんなにひどい運命を課したのか。私は何も悪いことをしていないのに何故こんなひどい目にあうのかという不当感である。とりわけ突然死の時に強 い。無理に感情を押し殺さず上手に発散させる。

5敵意と恨み
残された人は、周囲の人々や亡くなった人に対して、敵意や恨みという形でやり場のない感情をぶつける。
医療者や亡くなった人自身が対象になりやすい。

6罪意識
罪意識は自責感であり、多くの遺族をひどく苦しめる。

7空想形成、幻想
出張していると思い込もうとしたりする。

8孤独感と抑うつ
葬儀などの慌ただしさが一段落すると、まぎらわしようのない独りぼっちの寂しさがひしひしと迫ってきます。

9精神的混乱と無関心
日々の目標を失った空虚から、全くやる気をなくす。人と話すことも、出かけることもとてもおっくうになる。

10あきらめ→受容
受容とは事実を真実として積極的に受け入れていこうとする行為のことである。愛する人はもうこの世にはいないという辛い事実を自ら受け入れることができるようになる。

11新しい希望
忘れていた微笑みがもどり、新しい自分へと成長していく。

12立ち直りの段階~新しいアイデンティティーの誕生

キャサリン・M・サンダーズ


1.ショック(Shock)
2..喪失の認識(Awareness of Loss)
3.保護と引きこもり(Conservation and the Need to Withdraw)
4.癒し(Healing)
5.再生(Renewal)


上記の内容を要約すると、愛する家族との死別を体験した場合、殆どの方は最初にショックを受け頭が混乱し真っ白な状態になります。

その後、喪失の認識がされ始めると大きな悲しみ・怒り・罪悪感などを感じ、精神的にも肉体的にも消耗し不安定な状態が続きます。

喪失の認識の後には、大きな悲しみ(痛み)により休息が必要となります。

一人になり(引きこもり)十分休息を取る事が重要となります。
この時期には、無力感や疲労感が支配します。
休息が十分に取れれば、心も体も癒され自分自身をコントロールする事が少しずつ可能となります。これが癒しの段階です。
転換点はもう直ぐです。悲しみが無くなる訳ではありません。
しかし、愛する者の死を確りと受け止めて、再び前向きに生きる再生を迎える事となります。
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 私が子供を亡くした時は
1、ショック
2、罪意識
3、引きこもり
4、妬み
5、喪失の認識
6、目標

過程を取ったような気がします
目標というのが、私なりに子供を失った意味を考え「生きている私がやらなくてはいけない事」と勝手な責任感が芽生え、誰かの為に役に立ちたいと、悲しみを忘れるかのごとく私の場合は体験談を書き綴った経験があります。
 もちろん、大切な人を亡くす経験なんてしない方がいい。
でも、悲しみを経験して分かった事も沢山あった。
自分の成長にもつながったような気がします。
それは、あの子が命を通して教えてくれた私への財産。

震災なんてなかったほうがいい。
皆笑顔で暮らせるなら、3.11前に戻って欲しい。
そう願うばかりです。
 でも、起きてしまった。

これから先、どんな事があるのか分からないけど
きっと大事な人は見守ってくれていると信じたい。


きれいごとではすまされない
悲しみだけではなく、家も家財もなくなったという今回の震災


すべてを流された、物がないというのをなかなか理解してもらえない・・・
そんな声も聞きました
やはり、同じ土俵に立ったものだけが言える言葉があるのかもしれない

そう思う今日この頃です


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